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辺田(へた)という地名

 千葉県銚子市の下総台地への上り口に気になる寺があった。
この横は何度も通っていたが、車の通りも結構多いので今迄立ち寄らずにいた。

入口門柱には、「子安延命辺田地蔵尊」と「新義真言宗智山派 閼伽場山観行院」の2つの看板が掲げられていた。

入った所に仁王門があり、その先の正面に辺田地蔵尊のお堂が建っている。

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右側の門柱には「子安延命辺田地蔵尊」と書かれた看板。 辺田=へた と読む

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左側の門柱には「新義真言宗智山派 閼伽場山観行院」と書かれている。
山名の閼伽場は「あかば」で「価値がある」とか「功徳のある」といった意味のサンスクリット語の発音を漢字に当てはめたものだという。
このお寺はこの奥の境内にかなりの敷地で、本堂や庭園、墓地などを持つ結構大きなお寺だった。

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入口の仁王門には仁王像が置かれていましたが、手前に貼られたガラス?幕が曇っていて中がよく見えませんでした。
そこを入って左側に小さなお堂があり、その脇に子安観音の石像が数点置かれています。

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そしてそのお堂の内部を覗くと、青面金剛と三猿などの古い庚申塔が数点置かれていました。
この銚子には前に書いていますが、庚申塔がかなりの数点在しています。
(前に書いた記事 ⇒ 庚申塔(20回)

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今回は、「辺田」=「へた」という地名を少し追いかけてみたくなったので、わかったことだけを少し報告しておきます。


辺田2

柳田國男は著書「地名の研究」の中で、殿部田(とのへた)地名について、
「辺田は境の義、殿部田は外辺のことであろう」と書いています。

一方、上手(じょうず)・下手(へた)という「下手(へた)」については、日本国語大辞典などに、
  へた【下‐手】 [名・形動]《「はた(端)」あるいは「へた(端)」の変化で、奥深くない意からか》
と書かれています。

このことから「へた」という地名は「境」「端」など、境界や端っこの場所、そのあたり(辺)などと言ったような意味が土地の地名に残されたものだと思われます。

「ヘタ」「ヘダ」という呼び名でまず思い浮かべるのが、静岡県の西伊豆にある「戸田」=ヘダ(静岡県沼津市戸田) 地名ですので、少し地図で検証してみたいと思います。

まず、銚子の辺田(へた)地蔵尊がある場所です。

銚子の町は比較的新しく、こちらの駅に近い町並みは利根川からの土石が溜まってできた河川敷低地です。
しかし、この地蔵尊がある場所は下総台地からこの街中に下りて行ったすぐ付け根の少し高い位置にあります。
銚子大橋の方からは旭市のほうに国道を進むと、下総台地への上り坂に差し掛かったあたりです。
右手の高台には銚子高校があります。

やはりいかにも「端」につけられた名前という気がします。

では西伊豆の戸田(へだ)についても見てみましょう。

戸田2

地図は丁度地図では伊豆長岡の西側の駿河湾に飛び出し、湾が入りこんでいる場所に戸田があります。
沼津からヘリーなどで西伊豆をまわると、必ず立ち寄る港です。

この戸田港には戸田大川という川が流れ込んでいて、やはりこの河川敷デルタ地帯が戸田の町になっています。
このデルタ地帯の山側の付け根の部分に「ヘダ」という名前の基になったと思われる古い神社(式内社)「部田神社(へだじんじゃ)」があります。

やはり「ヘタ」「ヘダ」などという言葉に「部田」という漢字をあて、そのご港が開かれて、川の戸口であるため、町には「戸田」の漢字を与えたと考えるのが素直な解釈だと思われます。

<日本各地のヘタ、ヘダ地名> (郵便番号簿より)
秋田県大館市部垂町        へだれまち
茨城県ひたちなか市部田野    へたの
茨城県坂東市辺田        へた
千葉県千葉市緑区辺田町    へたちょう
千葉県夷隅郡大多喜町部田    へた
静岡県沼津市戸田        へだ
三重県松阪市駅部田町    へたちょう
兵庫県美方郡新温泉町戸田    へだ
山口県周南市戸田        へた
山口県大島郡周防大島町戸田 へた
佐賀県唐津市相知町長部田    ながへた
佐賀県杵島郡白石町辺田    へた
熊本県熊本市北区植木町辺田野 へたの
熊本県玉名市天水町部田見    へたみ
熊本県菊池市七城町辺田    へた
熊本県上益城郡御船町辺田見 へたみ
鹿児島県肝属郡南大隅町根占辺田 ねじめへた
鹿児島県大島郡宇検村平田  へだ

やはり、辺田、部田、戸田が多いが、鹿児島県奄美大島宇検村(うけんそん)の「平田」を「へだ」と読むのも同じようなところからきているのかもしれない。

さて、前にもどって、銚子の辺田(へだ)であるが、千葉氏の東氏一族に「辺田氏」という氏族がいたという。
これは、海上郡辺田村に住して「辺田氏」となったという。
この辺田村を調べると、明治22年の町村合併で、海上郡にある「小川戸村, 辺田村, 三崎村, 荒野村」が合併して「豊浦村」になり、昭和8年に銚子市に組み込まれている。このため、辺田地名も豊浦地名もほとんど残っていないという。



千葉の難読地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/06/25 10:42
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