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常陸国における源平合戦(15) 戦国末期の常陸国

源平合戦(15)

常陸国の戦国時代は、佐竹氏の常陸南部に勢力を持っていた桓武平氏の一族を一気に壊滅させたことで終焉をむかえた。
しかし、これが僅かの期間で成し遂げられたことから、余り詳しい資料が残されていない。

佐竹氏が何故このようなことを成し遂げられたのかについては当時の織田信長、豊臣秀吉の天下統一の流れを、この関東地方(東国)の側から少し見ておかねばならないだろう。

本能寺の変(天正10年:1582年)による信長の死後、柴田勝家を賤ケ岳において破り、織田氏の後継を担うようになった豊臣秀吉は翌1583年に大阪城を築城し、公卿となり、1585年には関白となって、敵対する勢力を掃討していった。
四国、九州などを統一した後、東国の勢力の一掃にかかった。

天正17年(1589年)末から秀吉は、後北条氏の本拠小田原城を攻める事にし、翌1590年には小田原城を20万の大軍で囲んだ。そして同時に、残りのの武将たちがその背後の東国の勢力を攻めていった。

佐竹氏はこの小田原攻めの援軍要請に従い、秀吉軍に参加すると、石田三成の軍に加わることとなった。
攻めたのは埼玉県行田市にある忍城(おしじょう)である。この城は平城であったが、城に通じる道は狭く、多くの住民(婦女子も)もこの城の中こもって篭城したため、なかなか攻めきることが出来なかった。
秀吉の命令で、この城を水攻めにすることなり、利根川の水を城の周りに導くために城を囲むように堤防を築いた。
この堤防を築く作業を担ったのが三成とも親しかった常陸国の佐竹氏であった。

堤防は数日で完成し利根川の水を引いたが、結果的には水量が足りずに忍城は水に浮いたような形で存続した。
また、更に水量を増やそうとしたが、堤防の決壊などでこの城の攻略は最後まで時間がかかってしまった。

小田原城も天正18年(1590年)4月3日に包囲をはじめたが、なかなか落とせず、降伏して城を明け渡したのは7月5日であった。
忍城もこの報を聞き、7月16日に降伏して城が明け渡された。

この小田原攻めに参加した佐竹氏が、秀吉から自分の領地を安堵され、更に常陸国の統一を任されていった。

常陸諸家

少し分りにくいので、天正年間の初め頃の常陸国の諸家を地図に載せてみました。

少し、この勢力諸家の状況を順に見て行きたいと思います。

<小田氏>(つくば、土浦)
 小田氏は関東藤原氏系列の宇都宮氏一門の八田氏が、筑波の北条郊外に小田城を築いて、鎌倉御家人などとして勢力を拡大した。しかし南北朝時代には南朝方の中心となり、北朝方の佐竹氏とは対立した。
1573年:筑波山石岡市側の手這坂で佐竹氏と激突し、真壁氏の援軍と戦う那珂、佐竹派の武将となっていた太田資正(三楽斎)によって、小田城を奪われてしまい、藤沢城へ逃げ込んだが、ここも陥落して土浦城に逃れた。
1574年にこの土浦城も陥落し、小田氏治は逃亡した。土浦城は小田氏の配下の菅谷氏が佐竹氏に降伏して治めることとなったが、小田氏治は北条氏政と連携して1577年にまた土浦城に復帰した。
その後いくつか戦いが続いたが、1590年に豊臣秀吉の小田原城攻めに参加しなかったことで、所領を没収され常陸国の小田氏は滅んだ。しかし、子孫は越前に移り続いた。
また、土浦城の菅谷氏も後北条氏と結んだため佐竹氏や豊臣秀吉派の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。


<岡見氏>(牛久)
 岡見氏は、筑波の小田氏から分流し、牛久城、東林寺城、谷田部城、足高城、板橋城などを領していた。
小田氏が没落してからは小田原の後北条氏と同盟し、下妻の多賀谷氏(佐竹氏派)とも戦ってきた。
天正18年(1590年)の小田原城攻めに続く、豊臣秀吉の東国攻めで、岡見氏は牛久城を去り、後に子孫は紀州藩士や水戸藩士などにもなっている。

<土岐氏>(江戸崎、龍ヶ崎>
 土岐氏は美濃国守護職土岐氏の一族で、南北朝時代に土岐秀成が山内上杉氏の被官として江戸崎に入っった。
その後、龍ヶ崎も領して兄弟が分割して治めていた。
天正18年 (1590年)の小田原城攻めに続く、豊臣秀吉の東国攻めで佐竹氏の攻撃で、江戸崎城は落城し土岐氏は滅亡した。
江戸崎城はその後、佐竹氏の一族である会津城の城主であった芦名氏(伊達政宗により攻められ、常陸に逃避)が入った。
龍ヶ崎は仙台の伊達政宗の飛び地として管理された。

<多賀谷氏>(下妻)
 武蔵国埼玉郡騎西庄多賀谷郷の地頭職であった多賀谷氏が、この地を結城氏が支配すると結城氏の家人となった。
15世紀半ば頃下妻に入り、結城氏を助ける活躍をしていた。
多賀谷氏は16世紀半ば過ぎまでは、結城氏とともに後北条氏と協調していたが途中から上杉謙信の陣容に加わり、結城氏から独立した動きを見せた。
その後は佐竹氏との同盟を強め、反北条氏の立場を鮮明にし、佐竹氏と同様に1590年(天正18年)の小田原攻めに参戦して豊臣秀吉から領土を安堵された。

  (続く)

常陸国における源平合戦 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/08/26 14:37
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