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駄菓子屋

 今日は少し大きめの地震があった。これもドスンとくるのではなく、横にゆらゆらと動く。
早く余震も終息してほしいものだ。
 さて、私は昭和31年春まで横浜に住んでいたが、この時は親戚の家の離れを借りて住んでいた。
この親戚の家は勤め人であったが、近所の子供に駄菓子なども売っていた。
わずかな広さではあったが、丸い瓶や四角の瓶などに飴玉やらお菓子を入れ、バラで売っていた。
当時まだ1円札があったので、10円は高かったかもしれない。いくらくらいであったのだろうか覚えていないが、小銭をもって買いにも行った。
昔はこのような子供向けの駄菓子屋さんが結構あちこちにあった。
しかし、その後駄菓子に縁がなくなったせいもあるが、気がつかないうちに、新興住宅街などでは駄菓子屋さんはほとんど見かけなくなった。
また紙芝居屋さんが消えたのも同じような時期であるが、これは家庭にテレビが入ってきた昭和34-35年頃から減ってきたのだと思う。

東京も下町ではまだ色々と楽しい駄菓子屋さんがあるようであるが、ここ石岡にも残っていた。
最初に目についたのは「駄菓子」の大きな暖簾がある金丸寿通りの「菅谷菓子店」さんであるが、構えも立派で老舗のお菓子屋さんといった雰囲気の店である。
ここは昔ながらの黒糖菓子などを扱っており、結構有名らしいが、駄菓子と呼ぶにはイメージが合わない。

こんな洒落た店ではなく、おばちゃんが片手間にやっているような店が私のイメージする駄菓子屋である。
そんな店が府中小の前の通りに残っていた。

dagasi02.jpg

看板は無いが、子どもたちは自転車で集まって、ここで買い物をして遊びに行く相談などをしていた。
もしかしたら塾やスイミングなどの話もあるかもしれないが、子どもの世界には入って行っていないのでわからない。

dagasi01.jpg

店の中では、品のよさそうなお婆さんが一人で店番をしていた。
売っているものは、本当に昔からの駄菓子のようです。
「チョコボール」「きなこ棒」「ポテトフライ」「BIGカツ」「さくらんぼゼリー」など、ほとんどが当たりくじ付きのようです。最近は占い付きの駄菓子もあるようです。
みんな30円とか50円位のようです。

子どもたちも、とても子供らしいので、昔の自分を思いだしました。
中町の丁子屋さんも、観光施設ではありますが、売っているものは駄菓子が多いです。
時々子どもが集まっていました。しかし、この地震で屋根瓦が落ちて現在使えません。
早い復旧を願っています。


 

街中の様子 | コメント(15) | トラックバック(0) | 2011/05/20 18:55
コメント
No title
勝田駅の周辺で唯一やっていた駄菓子屋さんが
去年あたりから店を閉めるようになり
今年になってからは全く開けなくなりました、
私が小学校の頃一番新しかった駄菓子屋さんで、
当時おばあさん代わりお嫁さんに交代した頃でした。
なんか駄菓子屋に行ってみたいです。

それにしても今日は余震が多いっすね。
Re: No title
kurokenさん
今晩は。
駄菓子屋さんってどこか懐かしい郷愁を誘いますね。
でも子どもがたくさん中にいる時に入って何か買うのは
すこし恥ずかしい気もします。
「なに? この爺さん本気?」なんて言われそうで・・・。
No title
ROMAN様
私にとっての駄菓子屋さんは泉橋のたもとの井筒屋さんでした。もう10年くらい前に止めてしまわれましたが、私が大学生くらいまでは店主のおばあちゃんもお元気だったと思います。5円玉、10円玉握り締めほぼ毎日通ったと思います。
70年代半ば~90年代まで娘さんが引き継いで、かき氷、焼きそば、お好み焼きも供し、二高生の溜まり場にもなっていました。
いまでもしょっちゅう夢に出てきます。
オレンジガムとか、森永のアイスステッィック赤青なんてのも。もちろんくじものも常備していま
した。銀球鉄砲、火薬ロールの鉄砲、飛行機、
ゴムで飛ばすプロペラとか色々ありました。
あの数畳の空間に一体どれほど商品置いていたの
でしょうか。今のコンビニより楽しかった気が、、
府中少のところのお店は生活圏外にて知りません
でした。いつまでもお元気でいて欲しいものです。
感無量
 懐かしいお写真有難うございます。私がよく行った駄菓子屋さんはまさしくここです。
 確かに大人になると、駄菓子屋さんに入っていくのは抵抗ありますよね、いくらなんでも。
 子供が小さい頃はそれをいいことに、たまに駄菓子屋さんを覗いたりしていたけど。(ホントは自分が買いたい)
 スーパーなどにも「駄菓子屋ショップ」みたいなものがあるけど、やはり駄菓子は子供たちの日常に溶け込んでるこのような、正統派?のお店で買いたいですね。
井筒屋
 行徳さんに質問なんですが、そこって、10円入れると、自分で綿あめが作れる機械ありました・・・?
Re: No title
行徳様
井筒屋は泉町突き当りの坂を少し下りた所にあったのですか?
他のスレッドなどの中に「肉なし焼きそば」がおいしかったとか。
二高性のたまり場だとか・・・。
2003年まではやっていたようです。
皆、生活の中に溶け込んでいたのですね。
石岡に来て古いお店もまだやっているところもあるし、子どもも
昔のような無邪気な感じが残っているところと思いました。
Re: 感無量
べあべあ様
やはりここでしたか。
正面から写真をとったのですが、子どもたちに見られてこっそりとったので失敗してしまいました。
堂々と中に入ってお話を聞けたらまた報告したいのですが何時のことになるか?
No title
ROMAN様
井筒屋さん、まだ看板だけは残っています。坂下の
常磐線沿いですね。絶好の鉄ちゃんポイントでも
あります。やきそばは色んな思い出があります。
すこし太めの麺であっさり目でした。

べあべあ様、
綿菓子機はなかったように思います。ただどこかで
見かけているのですが、小学校の近くなのか、商店街なのか、
さだかではありません。モリコーの屋上?
No title
行徳様 わざわざお返事有難うごさいます。
 綿あめの機械のことが、脳裏にふと過ったので・・。モリコーの屋上で覚えているのは
ゾウさんの滑り台(お決まり?)と味噌おでん、レジスターの玩具・・
 石岡ではないかもしれないけど、オレンジジュースが噴水のように流れてる販売機。今は見かけないけど、そういうものが昔あったなーなんて、
コメントを読んでいるうちにいろいろ思い出しました。
 それにしても、食べ物に関する記憶って、なぜか、鮮明ですね(笑)
なぜない?
ROMAN様
端的にないのが不思議?

常陸牛ハンバーグ
やさと地鶏カレー
小美玉ニラ焼きそば
ローズポークサムギョプサル・豚しゃぶ
(少なくとも石岡旧市内では見かけない)

石岡にはお好み焼き屋さん見かけませんね。
東京の下町では駄菓子屋がお好み焼き供したり
します。井筒屋さんはそういう感じだったの
ですね。もっとも相手は子供ではなく女子高生
やご近所でしたが。
Re: No title
行徳様 べあべあ様
今日は朝から出かけており、今戻りました。
コメント盛り上がっていますが、記憶がないので参加できなくて残念です。
モリコーのゾウさん滑り台良く話題に出ます。
現在モリコービルの屋上への階段は途中で閉鎖されており、どうなっているかは見ることができません。
でもあの屋上は子供にとっては広かったのでしょうが、今見たらきっと狭いですね。
多くの人がその思いなのでしょう。
駅前の西友の建物をやっと壊しました。でも見ると敷地は意外にせまく感じました。
石岡には皆が持っている昭和の思い出のようなものが残っています。
もっと積極的にPRしても良いと思います。
当然ご当地グルメも一緒に売り込みたいですね。
モリコー
ROMAN様、ベアベア様
ぞうさんと並んで、あのジュースファウンテンは
憧れでした。紙コップも自分で置くようになって
いたと思います。
写真残っていませんかねえ、、、、?
グーグル
ROMAN様べあべあ様
グーグルアースでモリコー屋上を見る限り、
ぞうさんらしき物は見えません。

でも一度上ってみたいですね。
Re: グーグル
行徳様
モリコーの外階段に植木鉢などをおいていて途中までは登ることができるのですが、
屋上へは一応通行止めとなっており無視しては登れません。
なんとなく見た感じではぞうさんすべり台らしきものが見えたように思います。
もう2年ほど前ですが・・・。

もっとも昔を知りませんので見間違いかもしれません。台座だけかも・・・。
 
ジュースファウンテン
 なるほど、泉のようにオレンジジュースが溢れていましたね・・。子供心をくすぐる魔法。あれを考えた人は、偉大かも?
 大石屋さん(町中の)は甘味屋だけど、お好み焼きもありましたね。今はやってるのかな??
 しかし自分の幼少期が「レトロ」と呼ばれる時代になってしまったんですねぇ・・。(複雑)

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