常陸国における源平合戦(19) 島崎氏終焉の地

ここからは常陸北部に残されている「南方三十三館仕置」の実体を見るために、残されている史跡を訪ねてみる事にします。
先ずは常陸太田の佐竹氏の本城から最も遠いところにある「島崎殿父子」の終焉の地です。

場所は水郡線の「上小川駅」の少し南の高台です。
袋田の滝のある常陸大子、袋田駅のすぐ手前です。
久慈川がこの上小川駅の手前で大きく蛇行してこぶのようになっている場所があります。
国道を走っていると、久慈川に架かる橋があり、水郡線も川を渡る橋を通っているので、川の上の橋を渡る鉄道と、その周りの景色が絶景スポットにもなっている場所です。
国道もこの久慈川を2度わたりますが、その間のわずかな距離の中間に西のほうに入っていく道があります。

この道を上っていくと、水郡線の線路の上を通ります。

上にのぼると少し開けた場所に出ますが、上りきった辺りの右手にこんもりと少し高くなった広場があります。
この当りに昔城があったようです。
広場の奥から大子方面を眺めると、下の線路などがよく見えます。

そして、その広場の片隅に「小川城主・館城主 山田左近太夫通定居城跡」という石碑が置かれています。
この場所は現在の地名では大子町頃藤(ころふじ)」といいます。戦国時代末期にはこの辺りには地元の人が「頃藤城」と呼ぶ館があったといいます。
潮来の島崎城の城主「島崎安定(やすさだ)」とその息子の「徳一丸」(六地蔵寺の過去帳では一徳丸)の二人がこの地で最後を迎えたという。
六地蔵寺の過去帳の記載では安定は「横死」、一徳丸は「生害」となっています。
二人の死をいたんで祀られたという石祠がこの城跡の西側の民家の畑先の竹薮の一角に残されているという。
今回少し捜したが、すぐにはわからなかったので諦めてしまった。
ただし常陽藝文(2017年6月号)には写真が掲載されている。
この冊子によると、この頃藤城主である小川氏は島崎安定の岳父(妻の父)であり、この地に逃げ込んで匿われたのではないかという。しかし小川氏は佐竹氏の部下であり、佐竹氏の圧力に屈し、家臣に命じて島崎氏父子を殺害せざるを得なかった。
ただ、この父子を弔って石祠を設けたのだろう。
地元の城跡の石碑に「山田左近太夫通定」とあるので調べると、この城が築かれたのは11世紀末から12世紀始めの頃で、芦野氏三代目の弟である芦野通定が陸奥国南端部(現在地?)に築き、そして、苗字を芦野から山田に改めたのだという。
ただこれも時代的には古くよくわからない。
その後、佐竹義胤第四男小川宗義が、建治年間(1275~78年)に再築城して小川氏を名乗り、小川城と呼ばれたという。また、一時山入の乱の混乱で白河結城氏に奪われたが、佐竹氏がこれを奪回し、小川氏(佐竹氏派)が再び城主となりこの支配が続いていたという。
佐竹氏の秋田移封で、この城も廃城となったという。
この頃藤地区もそれ程人家が多いわけではないが、少し西側に比較的大きな神社があったので紹介しておきます。

<関戸神社>
社伝によると大同元年(806)の創建で、源義家(八幡太郎)北征に当たり、この地を白川郡と久慈郡の国境と定め、ここに「関戸米神社」を祀り戦勝を祈願したといわれています。(Wiki)
『今昔物語集』:陸奥国ヨリ常陸ノ国へ超ル山ヲバ、焼山ノ関トテ極ジク深キ山ヲ通ル也
『新編常陸国誌』:「焼山関」を「多岐也麻乃世幾」とよみ、「凡本国久慈郡ヨリ陸奥ノ白河郡ニ入ルベキ道ニアリ。今ノ久慈郡比藤村(古奥州白川郡)ニ関戸明神アリ、コレ其地ナリ」
と記されている(Wiki)
したがって、昔はこの地が陸奥・常陸両国の国境であったというようです。


島崎氏は水戸の吉田氏(平氏)から別れた行方二郎の一族で、現在の行方から潮来あたりをその息子たち一族(行方四頭)で領して来ました。
行方四頭は小高氏、島崎氏、麻生氏、玉造氏です。
最初はそれぞれが役職などを持ち回りで交代しながらやってきたようですが、次第に争うようにもなりました。
この島崎氏(本拠地は潮来地区・牛堀地区)は、その西側へ進出し、永山氏(行方一族の小高幹平の子知幹が築城)、麻生氏を滅ぼしてしまいました。
この永山氏を滅ぼした時が夜だったので、牛堀を流れる川の名前が「夜越川(よろこしがわ)」となったという説があります。
(参考記事 ⇒ こちら)
現在潮来の郊外に地元の方達がきれいに整備し、「島崎城跡」の見学ができるようになっています。
これによるとかなり大きな城であったと思われます。
前に私が訪れた時の記事 ⇒ こちら
(参考まで)
ただ、この主君父子が殺された後に、城に残された人々がどのような動きをしたのかはよくわかっていません。
もう少し知れべて見ないといけないのかもしれません。
この島崎氏の菩提寺は牛堀に長国寺(ちょうこくじ:島崎長国(ながくに)が建てた)と現在「あじさい寺」として有名になってきた潮来の二本松寺が残されています。
こちらも以前に訪れた記事を下記が下記にあります。
長国寺(潮来) ⇒ こちら
あじさいの杜(潮来) ⇒ こちら
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