甲子夜話の面白き世界(第7話) 亀の話し

前回の河童には亀に似た図も載っていた。
そこで今回は「亀」特に毛の生えた亀の記事を中心に紹介していこう。
<甲子夜話の面白き世界(第7話)亀の話し>
《1》 毛のある亀の話し
鶴亀の図にある亀の図は亀の尾が蓑の様なことが多い。
これは絵描きの創作かというと、どうでもそうでもないようだ。
昨春、江戸に居る時、織田雲州(丹波柏原の主2万石)が次のような話をした。
わしが江戸に上がる時に遠州金谷に泊まった。
その夕刻、宿を出て、近辺を歩いた。
山の麓の沢に亀が多くいて、その亀にみな毛が生えていたのだ。
これを捕り瓶に入れて、江戸屋敷に連れ帰ると、亀はみな元気であった。
そこで、雲州に見てくれないかと請い、1匹贈ると、その場で即座にその姿を写した。

「本草」に緑毛亀とあるのもなるほどと思う。
毛は青色である。また世の中に出回っている絵は左の絵のように毛を甲羅の下より描く。
しかし、今見ているものは、右側の画のように背面よりみな生えている。
世に出回っている絵とは似ていない(寛政5年に記す)。
(巻之42 〔13〕 ← クリック 元記事)
《2》 毛の生ずる亀の話し
(平戸)藩士鮎川某が、若い時に領海生月嶋(いきつきしま)の沖で釣りをしていた。
朝日が登る頃、乗っていた舟の向い5,60間(約100m)のあたりに大亀が浮かんできた。
見ていると沈んだり、浮かんだりを繰り返している。
その大きさは甲の径り4,5畳ほどで、背の甲の文は鮮明で絵のようだ。
そして尾には毛があって赤色をしている。
日光を受けて、海水に映じてその色はいよいよ美しい。
亀の首は見分けられないと人に語ったという。
『本草啓蒙』には、「海亀は海中で産する大亀である。小物は2,3尺、大者は丈(1丈で3㍍)余り。甲は水亀と同じく六角の文が13ある」と書かれている。
これら甲の径り4,5帖あまり、背の文は鮮明と云うのよく符合する。
また尾は、同書の「緑毛亀」の条に、本邦にも3,5寸ばかりの大きさは、池沢の流水の中に、一般の(よく見かける)亀と群れて泳いでいる。形は水亀と異ならないとある。
ただ甲に黄斑があって3寸ばかりの長さの細い緑の毛が多く生じて、水中を行くときは甲の後ろに靡(なび)いて尾のようだ。
今島台に飾る多毛の尾がある亀はこの状態を像(かたど)っている。
実に尾に多毛の亀であるわけではない。
海中にもまた緑毛の亀がいると見える。
然らば前に聞いたものは海中の緑毛亀だろうか。
但し赤毛と云えば、緑色ではない。
今画者の描いた彩色なのは、亀の尾毛のあるものはみな、赭(あか)毛で、金色の線が混じる。
ならばこの着色もそのあかしなのか。
俗間で、蓬萊山を亀が背負う所を画くものはみなこれである。
唐土(中国)の緑毛亀は小さいものと見える。
前42巻に出した、織田雲州が語った亀、わしは目撃した毛亀は、甲背にみな緑毛があった。
ただし赭色(しゃくしょく:赤土色)や金線があることはない。
『本綱』に記載されているのは、
「緑毛亀、今惟(思う)に(中国)勸州方物を以て、養い、商いをする者は、渓谷などで自ら採集している。水瓶の中で畜う」という。
魚や鰕(えび)をえさとし、冬になって水を除くと毛を生じ、その長さ4,5寸である。
毛の中に金線が混じっている。
その大きさは大5銖銭(ごしゅせん:古代の中国の鋳造銭)くらいである。
他の亀も長く飼えば毛を生ずるが、金線は無い。
『和漢三才図会』を調べてみると、大抵画かれている亀は、みな長い尾があり、緑毛の亀のようである。
しかれども本朝にては稀有なものである。
ただ久し飼えば毛が生ずるというものでもない。
普通の水亀も、冬は泥の中にいて、春に出てくる時は、甲の上に藻や苔を被っている。
青緑色にして、毛のように見える。これを捕え、数回撫でてもこれが脱することはない。
しかし数ヶ月もすれば毛は落ちてしまう」とある。
しかしわしが目撃したものは、中々毛が脱するような体ではなかった。
また以上の諸説をまじえて考えると、海中に赤毛の亀がいないというものではない。
思うに画家に伝わる蓬山を負う亀は、おそらく赤毛の海亀になったのだろう。
(巻之88 〔7〕 ← クリック 元記事)
《3》 いろいろな色の毛の亀の話し
平戸に野々村某と云う士があった。
かつて月夜に海中に釣りに出かけ、一物を釣り上げて見るとそれは亀だった。
甲の幅は4寸ばかりで、尾に毛があり、長さは6寸をこえる。いわゆる緑毛亀である。
口は殊に広く、鈎(つりばり)を銜(くわ)えて口を開く口内は紅色で火が燃えるようであった。
奇異からだと、釣り糸を外して、亀を海に投げたと云う。
また近臣篠崎某も、平戸城下黒子嶋辺りの海面で見た亀は、その頭は馬の首の大きさで、頷(あご)下は紅色で美観であったという。また甲背は見えなかった。
海中に没したとき、亀の尻の部分がみえたので、尾の毛はあったと思う。そして毛の色は赤土色であったと。
また先年藩士が領海生月嶋の辺りで見た大亀も、尾の毛があって赤色だったと。
『本綱』の海亀に大小あると云うのは、これらも類か。
また吾が中の者が、船で淡路を経たとき海中から亀が頭を出したのに遭遇したが、大きな猫の首のようで、これも甲は見なかった。ただ、海中に没するとき尻を露わすと毛があった。蓑のようにして、長からず、灰色だったと。
これまた別種か。
(三篇 巻之1 〔9〕 ← クリック 元記事)
《4》 ぜにがめの話し
わしの幼児(息子、肥州)が、亀の卵を持ってきた。
見ると白色で鳩の卵の様だった。
四五日して殻を割って亀が生まれた。
大きさは銭の様だった。
その腹の甲に三四寸の臍帯(ヘソノオ)がある。
色白で細い縄の様。日を経て落ちた。
虫介類も卵の中に胞(エナ)があって産後に臍帯があるのが奇である。
『本草啓蒙』にある。水亀は春に陸に出て、沙土を掘ること六寸ばかり。
卵をその中に生じて土をかける。
八月中旬に至り孵化する。
大きさは銭の様。
これを「ぜにがめ」と云う。
薬用の亀甲は腹版である」と見える。
幼児が得たのも、八月中旬のことである。臍帯は腹版甲文の際より生じている。
林が云った。
佐野肥州〈大目付〉の庭に小池があって、年々に亀雛(本文ママ、亀の子ども)を生じる。
その卵をなして土をかぶせてから孵化に至る日数は、必ず七十二日である。
しばしば試みるが違わずと云うこと。
七十二の数は、あたかも真理に叶う。
肥州は知らずに試みて、暗にその数に合致する。
もっとも奇である。
(続篇 巻之31 〔2〕 篇 巻之1 〔9〕 ← クリック 元記事)
《5》 亀などの卵が孵る日数の話し
林翁が話したこと。
時鳥(とき)は自ら巣をつくることなく、鶯の巣に卵を産し、鶯に暖めさせて雛になるのはよく知られている。
この頃聞いたが、鷺(さぎ)もその様に巣を持たず、鵜の巣に卵を産んで鵜に返さすという。
これは初耳だった。
又話す。
久留米候の高輪の別荘に招かれて行ったが、その園に丹頂鶴が卵を暖めていた。
去年孵った(かえった)ヒナもいた。
そこの人に聞いたが、年々1組ずつ雛が孵るのだと。
日数はどの位かかるのかと問うと、36日目には必ず孵るのだと云う。
また先年、ある人が園地で亀を養っていた。
年々子を産する。
その親亀の地に穴を掘って卵を産してからおよそ75日で孵り、小亀となっていくのを度々見たと。
ふと鶴の36日孵化を思い起こした。
亀は72日であるべし。地中の事だから、人目につくのに2〜3日は遅れるんじゃないだろうか。
6は老陰の数だから、6✕6=36。これを倍すれば、72だ。自然とこの数に合うこと、奇跡と云うべきだ。
※老陰〜周益では6の倍数。
(巻之48 〔8〕 ← クリック 元記事)
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