甲子夜話の面白き世界(第11話)狐にまつわる話(3)稲荷と狐

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)
「狐」の3回目は「稲荷、八幡社などと狐」についてです。
《1》 『ヤハタ』の森
聞いた話である。
上総下総の国境の道傍に『ヤハタの森』と呼ぶ小森がある。
その裏を看ると向こうへ見通すほどの狭い林である。
しかし、以前より、この裏に入る者は1人としてまた出ることはなかったという。
人は怪場として、「やはた知らず」と云った。
その意味は、人は未だこの林の中を知る者はいないと云う意味である。
また聞いた。
かつて水戸光圀卿がこの辺を行き過ぎようとしたとき、お供の者に、この林の中に入ろうとの言われた。
左右の者は堅くそれを拒んだ。
卿は「何ごとかあるのか」と自身1人で中に入り、出てこられるまですこしの時間がかかった。
従行の人はみな色を失った。
然るに、卿は少ししてから出てこられた。
その顔容はいつもと違っていた。そして曰くに。
「実に怪しき処であった」と、それ以外は何も言わなかった。
こうして、しばらく日数を経てから言うには、
「かつて『ヤハタ』に入ったときは、その中に白髪交じりの狐の翁が居た。
そして曰く。『何たる故にこの処に来られたのか。昔よりここに到る者は生きて帰ることはありませぬ』。
また辺りを見ると、枯れ骨が累積しておった。
狐はそれを指して曰く。『君も還ることはよしとしないが、貴方の賢明さは世に聞こえている。今、ここに留まらず、速く出給われよ。そして再び来給うな』と云って別れたものよ。
このは余りに畏怖があってな、人に語るには及ばず」
と人にの給われた。
ある人また曰く。
「この処は八幡殿義家(八幡太郎・源義家)の陣跡と云い伝わっている」と。
これは『ヤハタ』と称する説だろうか。また果たして真なのか。
(三篇 巻之11 〔4〕 ← クリック 元記事)
《2》 水戸殿の祠
水戸殿の小石川邸(現後楽園球場附近)の園中には、伯夷、叔斉の祠がある。
(伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、古代中国・殷代末期(紀元前1100年頃)の孤竹国(現在地不明)の王子の兄弟であり、儒教では聖人とされる)
いつの頃からかその像を取り除いて祠八幡とした。
今の中納言殿〔卿〕の祖文公殿〔中納言治保卿〕の時、林子を招かれ、園中翺翔(こうしょう)にある折りから、林子に詩を乞われた。
林子は色を正して云った。
「義公(徳川 光圀公)の高風清節後世に流伝するのは、伯夷を景慕されてのことであろう。
今日その祠を見ると、いつか八幡となってしまった。
真に歎かわしいこと、甚だしい。
あわれ、八幡祠を外に新しく造られ、この旧祠には狐竹2子の像を元のように安置したまえ。
そうあらんときには、この時こそ拙も詩を呈すべく」
と陳説され、文公は大いに感動された。
その後八幡祠は別に成って、狐竹祠は昔に復したとのこと。
林子はいかにも奇男子と云えるだろう。
注:伯夷・叔斉は、孤竹の国の君主の子供であった。おなじ「狐」でも稲荷の狐とは意味が違うということか。
(続篇 巻之7 〔7〕 ← クリック 元記事)
《3》 王子の稲荷の狐
(王子稲荷は、大晦日に全国の狐が集まり、狐火を灯した行列があるとの民話がある)
ある士が、王子の稲荷(東京北区の王子稲荷神社:東国三十三国稲荷総司)に参詣に出かけた。
山中に至ると、穴の中に狐が伏せて寝ている。
士が「権助、権助」と狐を呼んだ。
狐は驚いて目を覚まし、思った。
「お侍さんは、オイラの事を権助と見るのか」。
狐は化けはせず、そのまま穴を出てきた。
士もまた知らん顔をして狐を連れて通って行った。
帰り道、山下の海老屋に入った。(この辺りには海老屋と扇屋という大きな料理屋があった)
狐は下僕に化け、酒肴を注文した。
そして酒肴が酒の席にズラーと並べられた。
酒もたけなわになったところで、士は厠に行き、そのままそこを去った。
下僕の狐だけが残された。
家人が怪しみ「酒肴のお代は?払ってくれるよな?」と聞いた。
下僕は「お、おいら、わかんないや!」と云った。
主人は怒り、その狐を嘲った。
下僕ははじめて悟り、すぐさま走って山に走って逃げた。
店主はあっけに取られてしまった。
士は戻ってこれを窺い見た。
ただ、この店には入らずに、餅の店に行き、饅頭を買って、再び狐穴に行った。
小狐がいて臥せっていた。
士は狐を呼んだ。
小狐はまた驚いて起き上がった。
士が云った。「おまえ、驚くなよ。饅頭をやるから」。
小狐は喜んだ!喜んだ!
それから牝狐の所に行き、このことを告げた。
牝狐が云った。
「食べないよ。おそらくは馬糞だからね」。
注:狐が化けて人間に饅頭を渡すと、それが馬糞の饅頭だったという民話は各地にたくさんあります。
(続編 巻之17 〔1〕 ← クリック 元記事)
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