甲子夜話の面白き世界(第14話)狸の話し

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)
「狐」につづいては「狸」のお話しをいくつか載せて置きましょう。
《1》 狸を化かして、また化かされた
平戸のある人が語った。
ある者が、ある人の家に行こうと山路を歩いていた。
するとその道の傍の樹の下に狸が一匹ぐっすり眠っていた。
この者は狸を騙してやろうと思い、声を上げて言った。
「小僧!小僧!早う起きよ!わしは持ち物があっから、持ってくれんか!」。
狸は驚いて目覚めて思った。
「これって、小僧だと思っているということは、オイラは狸が化けたのをおじさん知らないのだな」。
それで持ち物を背負い、付いて行った。
出立してから大分経っていたが、目的の家は近かった。
目的の屋敷に着くと、その者は狸の小僧を小径に待たせておいて、その屋敷の中に入り、かの山径での経緯を皆に語り、「どうか決して狸を騙している事を悟られないように、狸を見ても決して咲わないでくれ」と念を押した。
そして、小僧の元へ戻り、その屋敷の中に連れ入った。
家人はみな、目配せをして全く笑うことはない。
狸はいよいよ気をよくして、その身体が獣であることなどとは考えも及ばなかった。
周りも、まったく人のように接している。
主人は客に酒を出す。狸もこれを飲む。
季節は夏であったので、ひやむぎを味わった。
客は「うまい、うまい」と言いながら食った。
小僧にも振る舞われた。そして小僧が食べようとすると!!!
皿の汁に獣である自分の姿が映っているではないか!!!
狸ははじめて、騙されていたことを知り、戸外に逃げた!逃げた!逃げた!
客も家の者みな拍車喝采して笑った。
その後、客たちはこの話題を肴にして甚だ酔い、夜更けに帰宅した。
途中妻が戸外に出て待っていた。
「夏の夜は殊に暑いわねえ。さぞや汗をかいただろ。さあ、湯を沸かしたから浴しなさいよ」。
夫は「よく気のつく嬶(カカア)だねえ」と、湯に入った。
ああ、何て爽快な!
そこへ、隣人がやって来て云った。
「おい、何で小便壺に入ってんだ?」。
その男、気づけば隣人の言うように壷に入っていた。
あら〜。妻と思ったが、あれは狸だったのか。
狸は、妻に化けて讎(あだ)に報いたんだね。
わしは、この話はこの様に評価する。
校人(番人の長)が子産(鄭の宰相)を欺いて、君子は欺くにその方を以てすると云うが、そのはじめに料理を食わせるとき、子産ははやくも知っていて、寛徳その所を得たという話を出したのを、校人は悟らず、道理のない説を発したか。
山狸もまた、冷麺の影に驚いたのが正解であろう。
だから、妻に化けたのは偽りといえよう。
読者よ、熟慮を望む。
(注:孟子にある話:
ある時、生きた魚を鄭の子産に贈った者がいた。
子産はこれを校人(池の番人)に命じて、池で飼わせた。
ところがその校人は、その魚を食ってしまい、子産に復命した。
「初め、之を池に放った時には、元気が悪かったが、少し経つと、
元気が良くなって、悠々と泳いでいきました」と。
子産は言った、 「其れ所を得る哉(住むべきところを得たのかな)」と。
校人は、退出すると言った。
〈誰だよ、子産を智者とか言ったのは…、
オレが煮て食っちまったっつーの。
よかったよかった、だとよ。〉
このように、もし君子をダマしたいのであれば、それらしいウソをつけばよい。
ただし、道から外れた行いによって、君子の目をくらますことは難しいけどね。
(巻之14 〔1〕 ← クリック 元記事)
《2》 古狸
豊川勾当は例年の事でこの冬もまた天祥寺に招いて『平家』をかたらせる間、かれらの話である。
過ぎし年用事があって外出した帰路に和田倉御門に入った。
桜田の方へ行くと心得て、いつものように手引きの者と一緒にいったが、思わず草が生い茂る広野に出てしまった。
心中に、ここは御郭の中だから、このような広原があるはずもないと。
手引きの者に「ここは何処ぞ」と聞けば、手引きの者も思わず「野原に行きかかったようですね」と答えた。
勾当はこれで心づき、「これは狐の所為ならん。されど畜生は如何にして人を迷わすのか」と独り言云いつつ行った。
柝(ひょうしぎ)を打って時を廻る音が甚だしいなる所に近づいてきた。
「されば」と暁(さと)り、手引きに「ここは御郭の内なるぞ。心を鎮めよ」と云うと、手引きもはじめて心づいた。
「やはり馬場先内で、未だ外桜田をば出る所なのだろう。僅かの間に狐は迷わしてくれることよ」と。
そのとき坐中の人の話に、昔山里に住まる夫婦が樵(きこり)の業を為していたが、夫は片目だった。
妻はある時、その山から薪を負うて還るのを見て、(夫は)右片目なのだが今日は左片目になっていたので、「怪しい」と思い、折ふし有合の酒を強いて飲ませた。
遂に酔って眠ったのを妻はこれを縄で柱にくくりつけた。
ちょうど夫も帰ってきて、「何だ。これは化け物だ」と罵り責めた。
これで忽ち古狸となり姿を表わしたので夫婦で打ち殺した。
畜類のかなしさとして、片目とだけ思って、左右の弁別なきは、可咲(おかし)いことだった。
(続篇 巻之10 〔7〕 ← クリック 元記事)
《3》 碁打ちの老狸
世に知られた角力(相撲)の関取で緋威(ひおどし)という者は芸州(広島)の産まれである。
近頃年老いて、わしのところにいる角力(相撲取り)の錦の処に仮住まいをしている。
わしも年来知る者ゆえ、時々呼んで噺をさせちるが、その中に面白いものがあった。
彼の故郷の邑から在郷3里ばかりいった村に老狸がいた。
この狸は常に人と話をすることができた。
ただ見た目は普通の狸と違わない。
緋威もしばしばこの狸と付き合った。
ところでこの狸はよく碁を打った。
相手が碁の打ち手にほとほと困っていると、「あっしは目が見えませんからね」などと云って、人間と同じように相手をあなどる言い方をする。
総じて人のようだった。
そこで、これを困らしめようと傍人が戸を閉じて障子を塞ぐが、その隙間から幻影の様にいつの間にか出て行てしまう。
また戯れに陰嚢を披いて人に被せることがある。
人は驚いて逃げようとするが、さらに包み結んで、笑っている。
そのいたずらをするのも人と違わない。
またある人が
「あんたさんには弟子がいるかね」と聞くと、
「弟子もいるにはいるが、弟子と言っても隣村にいるちんば狐だけだね。しかしながら、この弟子は、人と話するのは未だできねえな」。
わしは疑った。内心は信じられない気持ちを持ちであったが、時に錦もまた同席しており、かつて共に芸州に行ってその人を知っているので、虚妄ともおもえない。
またこの狸はよく古い昔のことを語るという。
おおむね茂林寺の守鶴老貉(むじな)の談に類する。
だから芸狸も長寿の者か。
また隣のちんば狐は、里人に時々視られていたと云う。
注:茂林寺の分福茶釜のお話は、現在昔話に取り上げられている話とは少し異なり、この茶釜は老貉(むじな:狸)が化けていた守鶴といくら汲んでも湯が尽きないという茶釜であるという。
この縁起の話は甲子夜話 巻35 30(下記) に詳しく記載されている。
(巻之44 〔14〕 ← クリック 元記事)
《4》 分福茶釜
甲子夜話 巻之35-30 に記載があるがまだブログにて紹介していないので、ここではその概略を述べておく。
「池北偶談」に、僧が鶴に化けて飛去したことが記されている。
わが国にも上野(群馬)の茂林寺にて貉(むじな)が僧になって、後に飛去ったということがあった。
始めは僧でも鶴なら飛び去るのもありうるが、貉が飛ぶとは何事かと思った。
ただ、この貉は人に化けて名前を「守鶴」という。
鶴であるから飛ぶことに縁がないとは言えないだろう。
世に謂ふ「分福茶釜」というのは、この僧が所有していた釜のことだ。
縁記があるのでここに附出す。
<茂林寺縁起>
「往昔、茂林寺に守鶴といふ老僧あり。その僧はこの寺が應永年中(1398〜1428)に開山した時に、開山禅師にしたがつて館林に一緒に来たという。
そして、160年も経ったが第十世岑月禅師までずっとそばに仕えていた。
その少し前の茂林寺七世月舟禅師の時に、寺は大きく繫栄して会下の衆僧の千人がここに集うこととなった。
しかし、茶釜が小さく、とても千人の湯を沸かすことなどできない。なげいていると僧・守鶴はいづくともしらず一つの茶釜をもってきた。
その茶釜は昼夜茶をせんじても、湯が尽きることがなかった。
人々は不思議に思いその理由を問うた。守鶴曰く、
「これは分福茶釜と言って何千人が茶を飲んでも尽きることがありません。特にこの釜には八つの功德があります。その中でも福を分ち与えるために分福茶釜といいます。この度、この釜にて煎じた茶で喉を潤す人は、一生渇きの病を煩ふ事がなく、第一文武の德を備へ、物に対しておそるゝことがなく、智惠が増し、諸人愛敬をそへ、開運出世し、寿命長久となるでしょう。この德を疑うべからず」となり。
それより年月を経て、十世岑月禅師の代になり、ある時、守鶴が昼寝をしていると、手足に毛が生え、尻尾が出てるのを、見られてしまった。
それが誰れとなくさゝやかれていたため、守鶴はすぐにこれをさとり、住職に向つて言った。
「我、開山禅師に従って、当山に来てから120余年になります。然るに今、化けたのが分ってしまいましたのでお暇いたしましょう。
私は、本当は数千年を生きている狢(むじな)です。釋尊靈就山にて說法なし給ふ会上八萬の大衆の数につらなり、それより唐土へわたり、又日本へ来て棲むこと凡そ800年となります。
開山禅師の德に感じ入り、禅師に従ってきました。今に至るまでたくさんの高恩をうけ、言葉で表わすことも難しい。今は名残惜しいため、最後に、源平合戦の屋島のたたかいを今見せてしんぜよう」
と、一つの呪文をとなふるうちより、寺内は、たちまち満々たる海上となり、源氏は陸、平氏は船、両陣互いに攻め戦う様子、あたかも壽永の陳中にあるがごとし。人々ふしぎと見るうちに、あとかたもなくきえうせぬ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・(後略)
(巻之35 〔30〕)
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