甲子夜話の面白き世界(第18話)虬(ミズチ)と竜巻

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)
今回は、この甲子夜話の面白き世界でも第8話に記載した蛟(ミズチ)の続きである。(こちら)
ミズチも蛟とか虬と漢字で書くが、どのような意味合いがあるのだろうか・・・・
前回のところではミズチから白い煙が立ち昇る(気が立ち上がる)というような表現がされていたが・・・
《1》 白山での不思議な現象:ゑいの尾
医師の某が、先年壱岐に往こうとして田助に泊まった際、この浦の辺りの白岳に登った。
時は3月で天気はよく晴れ渡り、海の波は穏やかだった。
4,5人の輩としばらく眺めていたが、海洋を臨む処4,5里と思われるが、西の天にはたちまち一むらの雲が、墨を流す様に俄爾となりそれは半天をおおってしまった。
その形は斜角で下り垂れる所に鋒(ほこさき)がある。
やがて海面に下ろうとすると、潮がそれに応じて沸騰した。
それは尖った山の様な形で高さは2,3丈(6~9㍍)だった。
雲と波は相向って、一条の銀氷白浪が躍々としていた。
すなわち暴風大雨かと思われたが、遠くにあるのではっきりとわからない。
この時雲が下れば、浪が迎えて上る。
雲が上がれば、浪は下る。
こうして西から東へと奔る如しである。
その迅速さは須臾に10余里を渡り終えて雲は散り、浪は平かになった。
このとき、1艘の小舟が2,3里辺りにあったが、この風に中(あた)り、ひっくり返ってしまった。
また1里辺りに大船があったが、俄かに帆を張って走り行く。
なお風の音に触れて楫(かじ)を折って、地の方角に漕ぎ入った。
奇異な事に思えたので、土地の老人に見たことを話し、何のことだかを訊いた。
老人は「これはゑいの尾と云ってな、これに逢うたときは船は必ずひっくり返る。舟人はこれをみたらよく晴れていても著しく警戒するものじゃ」と答えた。
このゑいの尾と名づけたのは、ゑいは魚の名(紅魚)、雲の形はかの魚の身に似ているのでそういうようになった。
(巻之25 〔18〕 ← クリック 元記事)
《2》 虬(ミヅチ)
庚子(かのえね)の8月、塙次書を送った。
その中に虬が天に上がることに触れていた。
また目撃図を添える。
視るとわしが前に記した近所の竜巻と同じである。
けれどこれは7月22日という。
前記は12日である。11日違う。
思うに別の処で竜巻が起こったのだろう。
その他、時刻方角は異ならない。
その図 東橋逸士芳洲織

天保11(1840年)年庚子の秋7月22日、晴れて熱く無風、未の刻(午後1時~3時)前の辰卯の方角(少し南に寄った東)に大柱のような黒雲が昇る状となったが、このようなことであった。
黒雲の中より虬は尾を垂れて丑子の方角に翩(ひるがえ)り翻(ひるがえ)ると、にわかに大潟雨降になった。
またにわかに本当の晴天となった。
傍観者は多しと云う。
(三篇 巻之68 〔9〕 ← クリック 元記事)
《3》 竜巻
平戸居城北3里大嶋に住む、小臣が語った事―
某先年風雨の日瀬先で釣りをしたとき、俄かに海上100間ほどと思われる所に白波がたつと見えたが、渦巻き一条の雪柱をなした。
それから空中に4,5丈も立ちあがり、天上から黒雲が覆(おお)って降りた。
このような気に接すると見えたが、雨はますます澍(そそ)ぎ風は大になった。
その状態はすさまじい。
日中に至って雨はやんだ。
風はなぎに変わった。
その地の老夫が云うには、「これは竜捲(たつまき)と呼んでいるが、その辺りに船が寄れば、直ちに捲揚げられて天中に入るそ」。
海上には奇異なこともあるものだ。
<注:上の(1)、(2)もミヅチの仕業と言って絵までありますが、エイの尻尾なども形状から推察すれば海上に於ける竜巻と考えられます。気を立ち昇らせる怪虫が海辺や山の中腹の土の中にいて、このような現象を起こさせたなどとも考えられていたようです。
(続篇 巻之92 〔16〕 ← クリック 元記事)
《4》 大川(隅田川)の竜巻
先年、竜巻が起こった暴風雨があった時のこと。
諸船が多くこの災難に遭った。
ある老侯は家根舟(やねぶね)で大川に遊居していたが、白鬚祠の辺りでこの風に遭った。
川水は凄まじく巻き上がり、その舟を一丈(約3.03㍍)余り空中にまき揚げたと云う。
その時舟の中には侯の妾もいたが、心かしこい女性で自分の腰巻きを解いた。
そして侯を舟の柱に結わえた。
やがて舟は下がり川中に墜ちたが、侯は無事だった。
髪の元結は切れてしまったが。
同じ舟に乗っていた中に溺れた者もあると聞いた。
(巻之8 〔6〕 ← クリック 元記事)
《5》 雹(ひょう)と竜巻
閏三月廿九日、午後過ぎより晴天やや曇り、南風がにわかに西風に変わり、西北の際の雲色は極めて黒く、まさに雨が降ろうとしていた。
人々は尋常でないと見ていたら、疾風暴雨で、雷鳴が繰り返され、雹が雨と混じり合って降った。
一ニ時して止んだ。
この雹のことを聞くと、人の口は各々違うことを云う。
まずわしの辺りはみな通常の霰(あられ)のようであった。
中に大きいものは無患子(むくろじ、羽子板の羽根の下部の黒いもの)のようで、これよりやや大きいものも混じっていた。
また曰く。
この日、上野に行く者がいた。
雨に合い、中堂に入って凌いだか、その話を聞くと、大きさ蜜柑のようなものが多かったと。
この勢いは、中堂回廊などの瓦に当たり、瓦は砕けて落ちたものもあったと。
また聞く。
上野坂本へ行った人が見たものは、炭団大のほどだった(炭団は直径三寸五歩)。
上野宮様の御家士某が来て語るには、某宅に降った雹は、煙草盆にある火入れ程だが、小さい中に廿四五塊も混じって降った。これは所々打ち破り、修復をするほどだった。
また宮様の御庭に降った雹は、大きさは通常の茶碗ほどで、間々その雹に青い苔が着いたものもあった。
人が評するには、これは中禅寺湖などの氷を竜巻に破砕されて降ったものではないか。
小石川にいる商人が云うには、その店の辺りに降ったのは、余りに大きく思えたので量ったら重さは七十八十目(目は匁、一目は3.75㌘)なるかと。ここの辺りは古家が多く、破損した。
またその辺りで、折ふし小荷物運びが通りかかった。
如何したのか、この雹に馬が激しく倒され、馬夫(まご)は荷物を解いて馬を起こそうとしたが、馬夫もまた雹に打たれ甚だ困っていたと。
また板橋宿辺りに降ったのは、重さ百七八十目になった。
だからこれに打たれ、怪我をした者もあったと。
また前に出た商人の話。
この雹は、その所々でまちまちであったと聞こえて、四月朔日に品川へ行ったときに、このほどの雹は何かと問うた。
この辺りは、大雨に一ニ粒ばかりの最(いと)小さいものが混じわって降るのみで、雹というほどでもなかった。
けれども田舎の辺りは風がことに強く、家居もこの為に吹き壊されたものがあったと答えた。
されば遠近方角で違いもあるのだ。
察するに日光山の辺りは、山上の氷を吹き砕き、風下の所々に降り落としたということだ。
(注:竜巻とは直接関係ありませんが、最後に雹が日光山の氷を風が運んだというような話しが書かれていて、当時の想像している世界感が面白く、ここに載せました。)
(続篇 巻之41 〔7〕 ← クリック 元記事)
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