甲子夜話の面白き世界(第19話)ろくろ首

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)
小泉八雲が1904年に出版した「怪談」の17編の怪談話しの中に「ろくろ首」がある。
小泉八雲より70~80年程前に書かれたこの甲子夜話の中にもこの「ろくろ首」の話しが出てくる。
奇病の一種と捉えていたようでもあるが、とても興味深いのでここにまとめておきたい。
また、松浦静山とほぼ同時代を生きた浮世絵師葛飾北斎もこれを絵にしている。

(葛飾北斎『北斎漫画』より「轆轤首」 Wiki.より)
《1》 ろくろ首(轆轤首)の話し
先年能勢伊予守が訪ねてきて話す中で、世にろくろ首というものが実にあると語った。
末家能勢十次郎の弟を源蔵と云う。
性格は強直、拳法を西尾七兵衛に学んでいる。
七兵衛は御番衆で十次郎の婚家である。
源蔵は師かつ親戚としてよくかの家に留宿する。
七兵衛の家に一婢がいた。
人はこのものをろくろ首だといっている。
源蔵はあやしんで家人にそのことを問うと、そうだといっている。
因みに源蔵はそれを視ようと、2,3の輩と共に、夜起きていた。
家の者は婢が寝入るのを待っていた。
源蔵が行ってみると、こころよく寝ていて、起きる気配はない。
已に夜半も過ぎたが、変わりはない。
ややあって、婢の胸のあたりから、僅かに気が出ていて、寒晨に現れる口気のようである。
須臾(しゅうゆ:ほんの少しの間)にしてやや盛んに甑煙(そうえん:湯気)のように、肩から上は見えない。
視る者は大いに怪しんだ。
時に桁上の欄間を見ると、婢の頭が欄間にあって眠っている。
その状態は梟(フクロウ)の首のようである。
視る者は驚いて動いた、その音で、婢が寝返りを打つと、煙気もまた消え失せた。
頭はもとのように、なおよく寝て目を覚まさない。
よく見てみたが、前と異なる所はなかった。
源蔵は虚妄を言う者ではない。
本当の事を話したことだろう。
また世の人は云う。
ろくろ首はその人の咽に必ず紫筋ありとのこと。
源蔵の云うことを聞くと、この婢の容貌は常人と異ならない。
但し面色は青ざめていると。
また、このようなことなので、七兵衛は暇を与えない。
時に婢は泣いて曰く。
某奉公に縁がなくて仕える所すべて期日を終えず、みな半ばでこのようだと。
今また然り。
願わくは期日を全うしたいと願うが、怪しい所があるので聴き入れられず、遂に出される。
かの婢は己の身のこのようなことは、つゆ知らずという。
奇異なこともあるものだ。
わしは年頃ろくろ首と云うもののことを訝しく思うので、この事実を聞いた。
これは唐における「飛頭蛮」と謂うものである。
(巻之8 〔5〕 ← クリック 元記事)
《2》 ろくろ首(2)
1日外に出ずにいたら、路上で売り歩く者がいた。
「云々」と呼びかけた。
使者に命じて、売りものの紙片を買い取って視ると、曰く。
常陸国谷田辺(現 谷田部)村の奇病轆轤首(ろくろくび)。
ここ常陸国戸根川つづきの浜づたいの谷田辺村という所に、百姓作兵衛の妻、喜久と云うものをが近頃ふと煩い床についた。
日増しにやせ衰え、甚だしく大病となり、色々な医薬を用い、加持祈祷などつくしたが、その験もなく、次第に重くなっていった。
今は頼み少なく見える処にこの村に年久しく来る商人がこの体(てい)を見て申すには、
「ヶ様の病には、白犬の肝を取って呑めば、たちまち治るから」と話すと、この作兵衛の所に畜(かい)置く白犬がいた。
かの商人の噺を聞いたが、かの人が帰る時に、門に臥(ふ)している犬に大いに睨まれたので、商人は身の毛だち、またいい直して「犬よりは雉の肝が格別きく」と云い捨て帰った。
主は幸いに「この犬を殺そうか」と尋ねた処、その日よりこの犬の姿がしばらく見られなかったが、5、6日を経たある夕方、何処からか雉1羽をくわえて帰ってきた。
主は夜陰に白犬を目当てに、それとも心づかず棒で打ち殺し、この肝を妻に与えると、たちまち病は治った。
日を追い健やかになったが、2、3年を経て娘が生まれた。
蝶よ花よと慈しんだ。
生長するに従い類なき美婦となり、近頃の評判者となった所に、いつの頃からか誰いうとなく、「作兵衛の娘は轆轤首だ。この程毎夜現れて、誰某の寺の墓場で見たよ。誰は川下の渡り場で見た」など風説がなされた。
だが二親は更に心もつかずにいる処に、この10月中旬のある夜かの首が抜け出て、井の辺を遊び廻る所を何処ともなく白犬が1匹寄って来て、この喉にかみつき、遂に嚙殺したという。
不思議だ。
思うにこれは先年妻の為に飼い犬を殺したが、犬は妻の命を救おうと雉を取って来たのを、作兵衛は故なく殺したから、その恨みを子にむくい、ヶ様の奇病となり、剰への畜類の牙にかかり、愛する子を失った。
報いの程こそ恐ろしい」。
この怪説は取るに足らないけれども、少しは形代があることなのだろう。
これに就いて思い出す事がある。10余年前に紀州の徳本行者が、江都に出て念仏の教化があって、諸人に帰依させたことがあった。
武州か常陸か、今その処は忘れてしまった。
徳本は、郷民に念仏を勧め、説法して人みな集まり聴いたが、ある時一匹の犬があって俄に徳本に吠えかかり、噛みついた。
徳本は驚いて逃げたが、犬は遂に齧(か)み殺したら、大きな古狸の正体を現したと云う。
その頃、片紙に記したものを坊間に売り行きたが、その摺板を失ってしまった。
注:このような話も書いて、かわら版などと同様に売り歩くものがいたのですね。このように情報が伝わる
(続篇 巻之22 〔12〕 ← クリック 元記事)
さて、谷田部のろくろ首の話しはここまでで、甲子夜話には続きがありますので、それも載せておきましょう。
《3》 書を書く狸
また『四神地名録』に曰く。
武州多摩郡国分寺村の名主儀兵衛の宅に、狸が書いた筆跡があると聞いて、立ち寄って見た。
三社の託宣で、てん字、真字、行字とり交え、文章も取りちがえた所もあって、如何にも狸などの書いたものだろうと見える。
狸が出家に化してこの家に泊宿したのは、儀兵衛の父の代であった。
京都紫野大徳寺勧化の僧で、無言の行者と称して、用事は書を以て通ずる。
辺鄙の名主ゆえに有り難い僧の様に思って、馳走をして泊めたとの事であった。
その後に聞くと、北武蔵のうちで、犬に見とがめられ、くい殺され、狸のかたちをあらわしたとの事だった。
昔よりも、狐狸の年をふった者は書をなすものだと聞いたが、信じ難く思って居たら、この度狸の書を初めて見て、謬説(びゅうせつ 間違った説)ではない事を知った。
儀兵衛の父もかの僧(狸)も犬にくい殺されたと聞き、滞留の初終を勘(かんが)え見ると、怪しき思う事も2、3度もあると、今の儀兵衛が物語ったとの言い伝えあり。
世には怪しき事もなきにあらず。
(続篇 巻之22 〔12〕 ← クリック 元記事)
《4》 男色の古狸
また武州多摩郡中野村の名主 卯右衛門なといって、かしこい者が夜語りしたが、前文に記した狸坊主は卯右衛門宅でも一夜泊める口実にして、その物語りを聞きに、食事をする時には人を除いて食らったと云う。
寝るにも屏風を引き廻し、夜具でからだを包廻し伏せる体なので、怪しい出家とは思わないが、狸の化けとはさらに心づかないので、その後犬にとられた様子を聞いて、怪しく思った。
狸が化けた僧ではないかと、再びおそれ驚いた事と物語った。
この様な話には虚説が多いものだから、この狸の出家化けは、実説に聞こえない。
すると、この辺りには狸が化けは1度ではない。
また犬の為に命が終わるのも、過去の因縁、前世の宿敵なのか。またこれに就いておかしい事があるのは、わしの領邑平戸の中の安満岳〈西禅寺〉の里坊に妙顕寺がある〈真言宗〉。
片田舎で幽寂無人の堺である。
ある夜総角の美童が1人来た。
住僧は心から悦び、芋を茹で、黍(キビ)を炊いて食わしめ、泊めて宿させた。
僧は衾(ふすま)を同じうして甚だ楽しみ、貯置きし朱塗りの印籠を与えた。
童もまた喜んだが半夜を過ぎていで去った。僧は眠らず待ったが暁になっても帰らなかった。
僧が起きて尋ねると、堂の後ろの篁(竹やぶ)中に童が倒れ伏して、前夜に与えた印籠を腰に下げていた。
よく視ると古狸だった。
僧は大いに驚いて、その倒れた状態を詳しく見ると、龍陽(男色)傷破したとのこと。
霖(リン)子曰く。
「嗚呼、住僧はこの様なる者の後身(生まれ変わり)なのか」。
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