甲子夜話の面白き世界(第27) 異類婚など

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)
古事記と日本書紀にはいわゆる「三輪山伝説」があり、これが各地にいろいろは話が広がっている。
この三輪山伝説は、三輪山にまつわる神婚説話であり。活玉依毘売(いくたまよりびめ)のもとに夜ごと男が訪ねて姫は身ごもる。男の素性を怪しんだ両親は、姫に糸を通した針を男の衣の裾に刺させ、翌朝その糸をたどると三輪山の神社まで続いていて、男の正体が神であったと知るもの。
糸巻に糸が3勾(みわ)(3巻)残っていたことから,その地を三輪と名づけ、生まれた子は三輪氏の祖〈大田田根子(おおたたねこ)〉となり,三輪山の神,大物主神を斎き祭ったと《古事記》は伝える。また《日本書紀》崇神天皇条では,倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)に通う神が,蛇体の正体をあらわすことになっている。
常陸国風土記にも似た話がある。またこれは石岡の昔ばなしにもなっている。
お話は ⇒ こちら「蛇の子を生んだ奴賀姫」
甲子夜話にも似た話が収録されている。
《1》 その1 異類婚姻譚に思う
領内志佐村松山田と云う所の農夫の娘が妊婦になるが夫がわからない。
お産に臨み難産になった。
父母もこれはちょっとと、とりあげ婆の手には頼らずに、田舎には牛の子を産ます人があるのでそれの上手な文蔵と云う者に、「産ませてくれよ」と頼み、果たして子を生んだ。
しかしこの娘は、前から産んだ後に人に子を見せるのを憚っていた。
どう頼んだのか、子が出ると文蔵は即ち戸外に取り捨てた。
何者かが戸外にて待っている様で、直にその子を抱き取ったらしく、すさまじく草木が鳴る音がして山中に走り行く音が聞こえた。何者か、山神でもないだろう。
その娘、初めから産後に子を人に見せぬつもりだった。
また時々その家の辺りに怪しきものが来ることもあったという。
かの文蔵も産子の様子を一向に人に語らなかったので、未だに知る人はいない。
考えるに、蟒蛇(うわばみ)の人と交わったか。前に云った、わしの邦の河太(かっぱ)、異域の猿の様に、好男子となって女を犯した事があった。
昔の源平合戦の頃、寿永二年に豊後国の住人、緒方の二郎惟義の祖は、日向国塩田大太夫と云ったが、娘の名を花の本と云うに、立烏帽子に水色の狩衣を着た廿四、五ばかりの男が通って来て契りを込めた。
後に姥ケ嶽の窟に住む大蛇だった事が知れた。かの祖はその大蛇の種で容顔もゆゆしく心ざまも猛ることが、『盛衰記』に見える。
(巻之18 〔23〕 ← クリック 元記事)
《2》 その2 異類婚姻譚に思う
日本紀』の崇神紀に、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)を大物主神の妻と為す。
けれどもその神は、常に昼は見えなくて夜にやって来る。
倭迹迹日百襲姫命は、夫に「貴方は昼はいつでも拝見できるお方ではありませんね。
その尊顔を見せて頂戴。お願いだから、明日の明け方までここにいて。
美しくて麗しいお姿を拝見したいの」と云った。
大神は応えて云った。「ではそうしようか。わたしは明日の明け方まで貴女の櫛箱に入って居よう。でもお願いだから、わたしの姿を見ても決して驚かないでおくれ」。
これを聞いて、倭迹迹日百襲姫命は心の内に密かに妖しく思う疑いの気持ちを起こしたのだった。
明け方まで待って櫛箱を見れば、遂にそこに美しく麗しい小蛇の姿を認めたのだった。
その長さ大きさは衣の紐の様だった。妻は目に入った夫の姿に驚いて叫び声を出した。
大神は恥じ入り、人の姿になって妻に云った。
「あれほどわたしの姿を見ても驚かないでといったのに声をあげて驚いた。わたしは貴女には会うまい。虚ろな気持ちのまま御諸山に帰ろう」。
これを聞いて倭迹迹日百襲姫命は驚いて尻もちをつき、置いてあった箸を陰(ほと)に挿して亡くなった。
これは小蛇。
前の事と小大の違いはあれど、何れも蛇も人と交わることが古からあった。
御諸山は、三輪山のことを云えば、ぼんやりと道を行きながら、山を登ると記すが、如何にも志佐の農家の娘のこととよく似たことよ。
(巻之18 〔23〕 ← クリック 元記事)
《3》 蛇女房
わしはある日奇談を聞く。もしくは偽言か。云う。
かつて肥州雲仙嶽が裂けて、島原の城から城下の市(マチ)が土でまみれたことがあった(わしはこの時は、在城していたが、城の後ろから地震が再々起きた。城塀も少し損じた。思うにこの頃の話かと)。<島原地震>
以前の事だが、かの城下に一医師がいた。貧しく妻がいなかった。
ある夜の事、病人がやって来た。その足に傷を受けている。
「薬をください」と云った。医師はうなづいて薬を与えた。
10日余りで治った(わしは思う。この医師は、思うに外科だろう)。
その後病夫が再び来て、「君にお礼に差し上げるものがございません。願わくば某の女(むすめ)を差し上げますからお納めください」と云った。
医師は「幸に私には妻はないのでね。汝の気持ちを受け取ろう」。
その夫は帰り、夜半になって女を連れてきた。
医師が見ると、姿に色のある女である。
この女は妻になった。
一方医師はその病夫のさまを訝しく思った。
それであるとき密かに後をつけて行くと、4,5町の処で松の茂る中に入って、後は姿を見失ってしまった。
女は医師の家に居る1年で子を産んだ。男児だった。
この子を育てるに当って、妻は夫に云った。
「出かけて還って来る時、決して私の寝姿を御覧にならないで」。
夫は云われたことを守った。
だがある時、訝しく思えて、密かに様子を窺った。
すると大蛇が横たわり子に乳を与えていた。
夫は驚いたが、知らぬふりでいつもと変わらぬ暮らしを続けた。
妻はしきりに離縁を請うた。
ある日曰く。
「坊やを立派に育ててください。私がいなくなて、寂しがって泣くときは、これを与えて養って下さい」と云って5寸(約15㌢)ばかりの美しい珠を与え、出て行った。
後はわからない。医師は悲しみに沈んだが為す術がなかった。
この珠で妻の云う通りに児を養った。
ある時、嶋原侯がこの珠の話を聞き、「見せよ」と云ってきた。
侯は珠を欲しがったので、遂に献じた。
医師は児を養う由なく、海辺に行って妻を弔った。
それから病夫の姿を見失った松林の中から、妻が出て来て曰く。
「前の球を失うことを私は知っておりました。今また一つを上げますからこれで、坊やを育てて。けれどもまた侯がこの珠を欲しいと云われたら、すぐに坊やを抱いて遠くに逃げて下さい。ここに居たら必ず災難に遭います!」と云って姿を消した。
また話を聞いた侯に新しい珠を取り上げられてしまった。
医師は子を連れて里を去ることにした。
その夜、雲仙が裂けた。嶋原の城市は俄かに土の中に埋まった。
領主が得た2つの珠は土に埋まってしまった。
民は口々にこう云った。
「妻を連れてきた病夫も、また蛇の身が変じたのであろう。報恩の道を妨げられた仇を返したのだろう」。
この児は稍々(しばらくして)長じて、後に雲州に行った。
年15で父を失った。それから出家して普門律師の弟子となった。今は尾州の律院の主だと。
その僧は蛇母の性を得たのか、渇池に水を呼び、また雩法を行うと必ず験ありと云う。
天保庚子(11年、1840)の冬識す。記し者が戯を言う。
竜子は雲州に住み、冬に尾の邦の院主と為った。
みな竜たる因縁か。呵々。
(三篇 巻之70 〔20〕 ← クリック 元記事)
《3》 蛇に睨まれた娘
一日久留里候の別邸を訪ねた時のこと。
その臣等打が話す中に、その領村の事とかの話として、藩士某野外を通行していると、路傍の草むらで一女子が立ってはしゃがみ、立ってはしゃがみを繰り返している。
特別難儀の様子なので、「如何にしてその動きをしておるのか」と聞くと、女は答えた。
「あれを見て。向こうの土穴の蛇が、あたいを狙ってて、穴から首を出して、、ほら!立つと、穴から出て来そう!またしゃがめばまた穴に入る。逃げたいの!でも出来ない!!」。
士は試しにその女を立たせた。
なるほど、女の言う通り。
士は云う。「もう心配はいらん。わしに任せろ」。
女は激しく泣いて「ここを去りたい」と云った。
士はすぐさま刀を抜き、穴口に当て、女をして即座にそこを立ち去らせた。
蛇はたちまち穴を出て女を追わんとしたが、頭が刀に触れて両断となって、女はついに難から逃れた。
(巻之7 〔25〕 ← クリック 元記事)
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