甲子夜話の面白き世界(第28話)蚊の話

(今までの「甲子夜話の面白き世界」の第1話からは ⇒ こちら から読めます)
江戸時代も武家の暮らしも庶民の暮らしも、夏は蚊に悩まされていたようです。
甲子夜話にも蚊にまつわる話がいくつか収録されています。
静山公の領土(平戸)も、江戸の隠居後の屋敷も特に蚊が多かったようです。
《1》 蚊と蚊帳
わしの領内に小値賀(おじか)というところがあるが、大きな島ではあるが3000石もない。
ここは蚊 が多く出てくる。しかも小さい。
だから普通の蚊帳を吊っても蚊が入るので、これを防ぐなら別に目の小さな布地を織って蚊帳にすることになる。
蚊は普通は塩気を嫌うものだが、海島ではこれは論外だ。
ここでは、初めて蚊帳を吊るのは毎年四月八日に決まっている。
それより前に吊ると、特に蚊が多く出る年は、困難をものともせず、じっと忍んで家の中に潜んでいるだろうから。
一笑すべき。
(巻之10 〔6〕 ← クリック 元記事)
《2》 鼓を打つ手にとまる蚊
観世新九郎( 能楽の観世流小鼓方の名跡)が言うには、蚊は小虫だが実に利口だという。
夏の夜に鼓を打つとき、しらべ(楽器)を握る手に止まらず、打つ手にとまって血を吸う。
握り手にとまると打つ手でうたれるかも知れないからだろう。
新九郎はこの職業を長年経験してきているが、これはずっと変わらないという。
(巻之10 〔31〕 ← クリック 元記事)
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《3》 蚊に悩む
巻之30 〔4〕 蚊に悩む
わしの江東(江戸の江東:下屋敷?)の隠居屋敷は蚊が特別に多い。
夏は晨夜(しんや:朝から夜まで)には蚊の為に書をよんだり物を書くことが出来ない。
かつて『唐国史補』に云う。
「江東(中国長江の下流域、特に南岸)に蚊母鳥(かのははどり:ヨタカ)がいる。またこれをを吐蚊鳥(とぶんちょう)ともいう。
夏は即ち夜鳴いて、捕まえた蚊を葦叢(あしむら)の間に吐きだす。
湖州(中国浙江省)が尤も甚だしい。
南中にまた蚊子樹(ヒョンノキ)がある。この樹は枇杷に類する。
熟したら即ち自ら裂けて、蚊は勢いよく出て、空殻となるという」。
これ等の処はさぞ難儀だろう。
世界には色々の風土があるものである。
(巻之30 〔4〕 ← クリック 元記事)
《4》 蚊相撲
間(あい)の狂言には、蚊相撲と云う演目があり、蚊が化けた者が大名に召しかかえる話があり、相撲好きの大名の相手になって相撲をとる。
そして、その者が「某は江州守守山に住まる蚊の精にてござる」と名のる。
わしは先年の旅行にこの守山の駅に宿したが、その家の障子襖などに蚊がおびただしくとりついていた。
その形はことに大きく蝶ほどであった。
足もまた長いのだ。
然ればこの狂言(蚊相撲)を作り出す頃も、古より守山は蚊の名所にとなって来たので、そのことを取り用いたというところだろう。
(巻之29 〔9〕 ← クリック 元記事)
《5》 蚊トンボ
蕉亭の文通に小虫を包み添えて、これは駿府の人から贈られましたので、ご覧下さいと云ってきた。
写し図(下図)にした。

文には、これは、俗に「蚊トンボ」という虫であるという。
この虫は慶安(1648〜1652)のころより見られるようになり、その訳は、由比正雪の亡霊などと云っている。
水辺に生息しており、黄昏時に百千万が群れて飛んでいる。
かといって何も害はなく、女児ら取る者がいるが毒もない。
曇り空の夕景にとくに多くいる。暑い時は絶えた様も見られない。
この蚊トンボは巻之29に記した様な江州守山の蚊(上の蚊相撲記事)より少ない。
また慶安の頃より現れたと云うが、同巻に記す本庄の地に4、5年前より鷺立ち(鷺が立っている様な姿の)蚊 もあるがただの蚊であろう。
ただ正雪の亡霊とこじつけるのはどうかと思うが。
(巻之63 〔1〕 ← クリック 元記事)
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