今日の一枚(ことば)

道祖神に誘われて奥の細道紀行に旅立った芭蕉。
多くの山や村の片隅に、男女の道祖神が多く描かれている。
そこには、子孫繁栄、五穀豊穣などの素朴な願いがこめられている。
上の石像は親子の像だ。
親は母親だろうか?
見る人が好きに解釈すればよいだろう。
また親ではなく、祖父母かもしれない。
幼い子供は言葉を親や、その親(祖父母)などの身近な人から次第に覚えていく。
当然アクセントやその地方独特の方言もそうだ。
しかし、最近はテレビで標準語なる言葉を聴き、それも覚えていく。
わたしの子供の頃はまだ、テレビは家になく、ラジオで覚えるが、しゃべる言葉はまだ方言が殆んどだ。
それがいろいろな地方に転居したりする人が増えていくと、ことばは徐々に標準語に近づいていくのだろう。
私は新潟の生まれだが、2~3歳で横浜の本牧に移り住んだ。
ここは浜言葉で「~じゃん」という独特の方言があった。
新潟には祖父母や親戚がいたから、時々遊びにいけば、「そういが・・」「そういが~^て」などや独特のイントネーションを聞けば懐かしさが込みあげ、直ぐに同じような言葉をまねて喋る。
しかし、その地を離れればまた標準語に戻ってしまう。
横浜にいたのは小学1年までで、その後東京多摩地区に越して来た。
ここは地元の人間よりいろいろなところからやってきた家族がたくさんいて、学校でも標準語が殆んどだったように思う。
大学に入っていろいろな地方の人が入り混じり、いろいろな友達が出来、方言もたくさん聞くようになった。
特に関西系の人は関西弁を隠そうとはしないので、関西弁まる出しでその言葉に僕も一時あこがれた。
そして関西出身者が多くいた同好会に参加して遊びも、言葉も、飲み会も結構楽しかった。
伊勢二見浦の旅館の息子や、姫路の大きな文具店の息子もいて、遊びにも行かせて貰い日本各地の旅の味も覚えた。
茨城にやってきたのは就職してからだが、ここの言葉はどちらかというと抑揚がなく、早口だ。
それでも、数十年経てば茨城も北部と南部ではかなり違いを見せてきている。
言葉は生き物だ。
時代時代で人の出入があれば変っていく。
私にはこの言葉も自分としての故郷はない。
地方同士、地方と都会など物理的な距離はどんどん近づいてきており、またテレビ、インターネットなどはどの場所でも条件は同じ。
地方の言葉はこれから100年先、200年先には何処に向かっていくのだろうか。
そうでしたね。大学までは大阪でしたね。
ブログなどのやりとりでも知ってはおりましたが、あまり関西弁らしき雰囲気は出しておられなかったようで。
40年も関東にいればもはや関西人ではないですね。
確かに少し年上で、これは逆転はしない。(残念)
ただ、コロナであまり出歩かなくなり、足腰も弱って少し先を考え始めざるを得なくなって来ました。
お互い定年後は文系の方向ですね。
でもまだ私はEXCELマクロを使っている。これで少し生計を立てている。
でも、銚子も仕事はこちらですが、飯を食うか史跡を巡るか、知られていない穴場を見つけるか・・・ こんな方が中心です。
銚子の天狗湯もNHK(北関東)で紹介してもらったし、電話での取材も受けました。
本作りもかなりやれて自己満足ですが地元の図書館にも置いていただける。ありがたいことです。
まだもう少し欲もあるので来年もお互い頑張りましょう。