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今日の一枚(ダブルスタンダード)

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(馬に乗った八幡大神: 銚子市白幡神社内庚申神社にて)

下記は今から7年前に毎月発行している機関誌(ふるさと風)に書いた記事「ダブルスタンダード」である。
記事内容は古いが最近のアメリカの北京冬季オリンピックの外交的ボイコットで久しぶりに昔を振り返って思い出したものである。
アメリカの大陸開拓の歴史で原住民であるインディアンを95%も殺戮した歴史を思いださざるを得ない。

よかったら下記に当時の記事を載せましたので読んでください。(少し長いです)
ダブルスタンダード  
         ふるさと風の会 99号 2014年8月号    

 今年の夏はエルニーニョの発生で北日本は冷夏だと騒いでいたが、何の事は無い梅雨明けと共に物凄い暑さに襲われている。体力が無くなって来ているせいもあろうがこんなに暑いと夏を乗り切れるか不安になる。

病院の健康診断で毎年異常値を指摘され薬も処方されているが、薬嫌いな私としては運動不足を解消すればある程度数値も良くなると期待して、7月の初めより毎朝近くのウォーキングを始めた。

今は朝5時頃から1時間くらい速足で歩きまわっているが、この時間でもたくさんの人が歩いたり犬の散歩をさせていたりする。
この早朝散歩で公園や街中の路地を歩いたりすると今まで見えなかった自然や町の姿が見えてきたりして楽しい気分にさせられることも多い。

何時も通る森でウグイスがきれいな声で縄張りを主張しているが、これも真夏が近づき日毎に、鳴き声が短くなっていくような変化を感じたり、池の蓮の花が池の周囲を廻っている三十分程の時間につぼみから開花していく様子が見えたりする。
こんな自然の変化を敏感に感じることが出来るのはまさに「早起きは三文の得」ということだろう。

また朝顔の花が早朝から咲いているが、この咲く時間には朝顔の持つ不思議な体内時計が関係しているのだと言う。
前の日の日没から丁度十時間後に花を開くという規則正しい体内時計を持っているのだそうだ。
こうして鳥や花を愛でていると新たな知識が広がることに少し満足感を味わうことが出来て一石二鳥でもある。
また、街中を歩く時は普段歩いたことのない路地に入りこむ。そうするとそこでは昭和初期から半ば頃の忘れられたような面影をよく発見する。
もうとっくの昔に閉店となり看板だけが残され、その看板に「鳩レース」の文字を見つけた。
そして「鳩レース」とはどんなものだろうと想像をたくましくし、ネットで検索すると日本では現在2カ所にしかない国際委託鳩舎が八郷地区(片野)にあることを発見する。
まあこんなことで新しい発見があれば、そこには別な興味のそそられるネタが必ず隠れている。
このように一つの事柄を見つけてその裏に隠れているもう一つの顔を探すのも楽しいものだ。
これも地域掘り起こしをめざして始めたブログ「まほらに吹く風に乗って」がこの夏で4年を迎えるが、毎日欠かさず続けて来た成果と言えるかもしれない。

 さて、前置きが長くなったが、今回の話のテーマ「ダブルスタンダード」について少し書いてみたい。
ダブルスタンダードとは、二重の異なる基準(スタンダード)を持ち、人種・民族・国・身分などの違いにより使い分けることを言うが、スタンダードが一つでもその判定基準(criteriaクライテリア)が曖昧ではっきりせず、それを使う人により都合のよいように使い分けることなども含まれるだろう。
日本の基準は、どうも判定基準を明確にして、誰が解釈して変わらないようにすることを吉としない風潮があるようだ。
これは日本人が気がつかないでいる場合も多く、日本人の美徳だと変に思い込んでいる節がある。
日本語と言う素晴らしい言葉の持つ負の面だと私は思っているが、文学で曖昧な表現が好まれるのは良いが、法律文書や海外とのやり取りなどでは障害になることがある。
また、私は仕事でパソコンプログラムなども組むが、今までの判定基準を計算や検索プログラムに組み込む場合にこの曖昧さに戸惑うことが良くある。
日本人は「大体これくらい」だとか、「こう言う場合はこうしなさい」などと一見よさそうな表現が全くプログラムにならないのだ。
「数値としてこの場合はこうせよ。そうでなければこちらの判断に従え」と明確に指定しなければパソコンは判断ができない。
「そんなこと言ってもこの数値から判定が変るなどと明確に決められないよ」などと言う声も良く聞くが、暫定的にでも決めて判定し、不具合がでた時に自動的に修正をしていくというPDCAサイクルの考え方が欧米には多いのである。

日本の官僚の作る法律文書でも後から解釈を変えてしまえば最初に説明した内容とは違っても良いと本気で考え、それが優秀な官僚だと思い込んでいる人もいる。これは政治家も同じだ。

例えば消費税の生活必需品にかかる消費税に軽減税率を導入する議論がある。
消費税を8%と10%の2段階の値上げとした時に、この軽減税率の必要性やその手続きの複雑さなど検討する時間が足りないので8%にする段階では間に合わないと判断し、「消費税の軽減税率制度については、『社会保障と税の一体改革』の原点に立って必要な財源を確保しつつ、関係事業者を含む国民の理解を得た上で、税率10%時に導入する」と平成26年度与党税制改正大綱に書きこまれた。
この税率10%時というのが曖昧な表現で、10%にする時と同時に軽減税率を導入するのか、10%からその先の値上げもあるので10%の消費税を適用している期間のどこかで導入するのかで意見が分かれているのだ。
こんなことってあるだろうか。日本語を曖昧にして裏でほくそ笑んでいる政治家や官僚の姿が浮かぶ。
これが日本的政治である。まったくもって情けない。このような文章を作成した事を恥じるべきだと思う。
こんなことに労力を使うくらいならさっさと議員定数の削減をする約束を守ってほしい。
どうも日本人は単一民族(これはあくまでも大和民族を言っているのであって歴史的に見れば単一民族ではない)国家であり、考え方の思考が統一されているので曖昧でもやっていけるのだろう。
もし異なる民族が混在する国であったなら、このような曖昧表現は逆に命取りになるであろう。

最近中国で賞味期限切れの肉を他の製品と混ぜてマクドナルドやファミリーマートなどの製品に使われていることが判明した。
最初のうちはまた中国でこんな品質チェックがでたらめな事が起きたと思っていたが、その後中国での報道のトーンが変ってきた。すなわちこの中国の生産工場はアメリカ資本の工場で、アメリカ品質でなければいけないのに、この親会社はアメリカ品質と中国品質を差別して十分な品質体制がなされていなかったといいだしたのだ。
アメリカは中国ではアメリカ国内と異なるスタンダードを適用しており、ダブルスタンダードだと騒ぎ始めた。
中国のこの報道も一方的に受け取ることは出来ないが、アメリカのダブルスタンダードは今に始まったことではない。

イスラエルなどに対してはガザ地区への空爆や地上戦で多くの民間人が犠牲となっていることを受けて国連の人権理事会がイスラエル非難決議を採択したが、これにアメリカのみが反対(日本など17ヶ国は棄権)した。
今まで何度もアメリカはイスラエルが非人道的な戦争をしても最後はイスラエル擁護にまわる。
口で言うことと国として判断することは違うと言うまさにダブルスタンダードである。
私はイスラエルが悪いと言っているわけではない。
「ハマスが悪い」「イスラエルが悪い」などといってお互いが争い、多くの民間人に犠牲が出ている現実をみれば争いを止めることに全力を注いでもらいたいと思っているのだ。 
  
ウクライナでの親EU派と親露派の争いについても日本の多くの報道は本質から外れているようで気がかりだ。
これもEUとアメリカなどが本音と建前を使い分けているダブルスタンダードを持っていることによるものかもしれない。
私も仕事でウクライナは二度訪れているが、旧ソ連から1991年に独立したが、もともとヨーロッパに近い民族と、ロシア人およびそれに近い民族の2つの勢力が対立したままだ。
大統領がどちらの勢力がなるかで国の方針が振り子のように行ったり来たりする。
親EU派が大統領になって、ソ連時代に使われていたロシア語を学校教育の段階から完全に排除した。
それまでの親露派の大統領時代にはウクライナ語とロシア語が両方許容されていたのである。
言葉というのはそう簡単に変えることは出来ず、現実は今でもロシア語は多くの場所で使われている。
ウクライナ国内のロシア人の割合は20%以下だが、家庭で使われているロシア語とウクライナ語の割合はほとんど同じくらい(共に約40%で、両方を使う家庭は約20%)となっているのだ。
特に東部地区の年配者はロシア語がほとんどである。

今はマレーシアの民間旅客機が墜落した責任をめぐって情報合戦がし烈を極めている。
しかし本質である戦闘地帯の上空を飛んだマレーシア機の責任も免れない。
これも前に起こったマレーシア機の事故が影響しており、燃費節約で最短距離を飛ぶことになったマレーシア航空会社も巻き込まれる危険があった空域を飛んだと言う事態も当然追及されねばならない。

ロシアについてはプーチンが悪いのだと一方的に決めつけロシアへの制裁を主張するアメリカだが、EUは天然ガスの供給を受けているので制裁も口で言うのと実際の行動が違っている。
わが日本はどうかというと、どうも私の周りの人に聞くとプーチンは人気がなく、感情的に親露派やそれを後ろから支えるロシアへの風当たりは強い。
私は、これは一方的すぎると思う。
ロシアの欲しいのはクリミアだけでいいはずで、親露派をテロといって攻め立てるウクライナの親EU派の正規軍がこのウクライナを自分たちに都合のよい人種のみしか認めない考えが続けば悲劇は拡大するだけである。

映画「ひまわり」でソフィアローレンが一面のひまわり畑でその下に眠る戦士たちの墓を探し回るシーンをいまでも思い浮かべることがあるが、私が訪れたウクライナには、あの映画のシーンと同じ一面のひまわり畑が広がっていた。
映画の撮影がウクライナかどうかはわからないがヘンリーマンシーニの悲しい曲があのシーンとともによみがえるのである。
産業が乏しいウクライナで旧ソ連時代に作られた各種産業の工場は親露派のいる東部に集中している。
そして格安で供給されているロシアからの天然ガスで国の利益を上げている。
ヨーロッパに供給される天然ガスもほとんどがウクライナを経由しているので、これを途中で抜き取って売ろうとまでしている。
ロシアとしては面白いはずがない。
この親露派住民をクリミア自治国に移し、今の西部・東部を親EU派に統一することが目的かもしれないが、このまま親EU派で国がまとまったとしても、すぐに財政が行き詰ってしまうのではないかと心配である。
日本政府は集団的自衛権容認を閣議決定したが、このダブルスタンダードを持つアメリカを真の同盟国として信頼できる相手なのかどうかは大いに疑問がある。
知らず知らずに他国との戦争に巻き込まれていくことが危惧される。
その時にこれが自国のためだったのかと後から後悔しても戻ることは出来ない。
国民が覚悟を決めたのならこれは民主主義でやむを得ないが、知らされていたことと中身が違うダブルスタンダードであったと後から後悔することだけはしたくはない。

積極的平和主義、原発の安全性審査では「世界一厳しい安全基準」などという言葉で美辞麗句のようなことを並べたて、誰も責任をとらない体質では、何時まで経ってもこの国は三流国家と言わざるを得ない。
もちろん首相が「私に責任があります」などと言ったとしてもそれは責任あると言うことではない。
原発では再稼働を前提にせず、どんなことがあっても被害はここまでに抑えられるといった具体的なハード・ソフトの両面で国民に説明することが責任ある人の態度であることは言うまでもない。
ノルウェー、フランスなどの最新の原発設備基準などと日本の置かれた地形なども考慮に入れた比較検討が全くなされていない状態で再稼働などとんでもないことである。
この核のゴミ処理の費用などを電力料金に加算したら、いつまでも原発にしがみつく電力会社も無くなってくるはずだ。
原発族と呼ばれる人たちもダブルスタンダードをやめ、日本のこれからのエネルギー政策を真剣に論じてほしいものだ。
(2014年8月)

今日の一枚 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2021/12/13 10:31
コメント
No title
7年前も今も、あまり状況は変わっておりませんね。主権国家の争いは果てしなしというところでしょうか。1945年以前に比べて、大きな枠組みは崩れていないとはいえ、危うい綱渡りをしているこの世界ですね。日本にとり75年も戦争をしていないなんて、その前の75年に比べると隔世の感です。

昔は散歩をしておられたとのこと。私も自転車に乗らない日は、なるべく散歩をするようにしております。スマホ版のポケモンGOとかピクミンをしながら歩いておりますよ^^;。
kincyanさん
 そうなんですよね。7年前とあまり変わらないんです。
ただ、世界中がだんだん自国大事とか、自分さえ良ければなどという空気が感じられますね。
戦争も経験しなければ分からなくなっているのでしょうかね。

日本はまた我欲が進めば、大地震とか火山噴火とか何か起こりそうにも思います。
もっともこれは我欲とは関係なく起こるのでしょうが、何が起こるか分からなくなりました。

7年前の夏は毎朝1時間近く早足で散歩していましたが、1か月半後くらいに朝起きて天井がぐるぐる回りだして・・・
1週間くらい困りました。少しペースを上げすぎたのでしょうね。

その後は室内運動や、時々歩く程度で・・・・
春は花粉で歩けず、でもまた少しずつ歩きたいとは思っています。


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