今日の一枚(デジタル)

昨日は冬至。
今年も残すところ1週間ほどになりました。
最近、政府も何故か急に「デジタル化」などというようになりました。
まあ、余生を楽しんでいる年寄りにはデジタル(数字)でもアナログでもあまり関係ないけど、何だか今まで見向きもしてこなかったのにこの傾向はどうしようというのか?
15年以上前に私がデジタル化を言い始めたが、ちっともそんな方向には役所も政府も、民間企業さえあまり大切だとは意識されていなかった様に思う。
今になってこんな事を取ってつけたように叫んでももう遅い気がするが・・・。

IT技術が個人でも当たり前に使える時代になり、このデジタル化という言葉だけが独り歩きしてしまっていて、多くに人が誤解しているように感じることもよくある。
デジタルとアナログなどと言っても時計の針で表示しているアナログ時計と、数値で時刻を表示しているデジタル時計でイメージはよく区別されて説明される。
私が会社に就職した45年以上前には、大型コンピュータにはフォートランとコボルの2つのソフトが主流にあった。
フォートランが技術系の計算ソフトに対し、コボルは事務系の給与計算などのデータ処理が得意なソフトで、よく対比されて語られた。
数値化してコンピュータ処理するといっても、完全にこの2つの意味合いは違っていた。
技術系出身の私にとっては、当初はまさに機械の性能計算や振動解析などのフォートランによる技術計算がコンピュータというもので、コボルなどの蓄積データ活用技術はあまり興味はなかった。
しかし、この蓄積データの活用に目が向き始めたのは、パソコンが普及始めた25年ほど前になってからである。
輸出比率が90%ほどの流体機械の設計部門にいて、流体性能計算、強度計算、振動計算などの技術計算ソフトには何年もかかわっていたが、海外の会社と取引する機会も増え、技術競争力にはこれらの技術計算だけでは今後太刀打ちできないと考える機会を持った。
当時、今までの蓄積資料、設計時の技術データなどの保管は、5cmのファイルで倉庫や設計室に保管されているか、またはマイクロフィルムや磁気テープなどに保存され、知りたい資料を探す手間に馬鹿にならない時間を使っていた。
研究開発も過去のデータがあってもその比較や利用に結構多くの時間をかけていた。
信頼性の確保やその進化についても同様で、まだまだ人力で無駄な時間をかけ、また作成した資料もファイルして個人の机脇のサイドラックにご丁寧に仕舞い込まれていたりして、共有化などの妨げとなっていた。
ISO9001(国際品質管理規格)が日本のJISに制定される前に、海外よりこの認証の有無を聞かれる事があったが、当時はこの規格の内容は理解しておらず、「日本の品質は世界一だからこんな規格などいらない」などと思ったりしていた。
まったく井の中の蛙である。
アメリカで1980年代に、ヨタの看板方式に注目が集まり、日本企業の生産合理化が見直されている時期があった。
しかし、その後このトヨタ方式からアメリカは「りエンジニアリング」という、ITによる経営改革が急速に進んだ。
しかし日本の経営陣はこの波に乗り遅れたのだ。
日本の生産性合理化は世界一・・・・ などと本気に思っていたのだろう。
役所や省庁などもまさに今でもこんな感覚でいるのかもしれない。
デジタル化は手段に過ぎない。
先ずは蓄積された資料、紙の物はPDFなどに全て変換して、電子データで作られた物はサーバーに保管して、その利用を推進する事だ。
データとして使い勝手の良い資料の作り方などの基本を徹底し、作る時から意識して作らなければ後から余計な時間をかけなければならなくなる。
いまだにパソコンでの資料つくりにワープロ感覚が抜けない物をよく見かける。
デジタル庁が骨組みをしっかり示さなければ、日本はただでさえ曖昧さを好む文化風土が有り、主語が抜けた文章を多く見かける。(英語に直せない)
文字も倍角でこのIT化には不利な要素も多い。
私が始めたのは自分のみ書類保管はやめ、机上のファイル、サイドラックの資料などを全てPDFなどの電子データにしてサーバーに保管し、必要書類検索のEXCELプログラムを自ら作成した。
まずは、自分の周りの手持ち資料などをすべて電子化して廃棄し、スッキリさせると同時に所属にみんなで共有化できるようにすることから始めたのだ。
もうあれから15年近くが経つが、今はどうなっているのだろう。
日本の良さを保ちつつデジタル化も早急に進めてもらいたいものだ。
企業もお客様から何か過去の納入品のデータの問い合わせを受けたなら、設計などに問い合わせせずに開示できるデータは営業データの蓄積と利用推進、及び共有化、これがリエンジニアリングの基本だと思う。
もう10~20年位遅れてしまっているが、日本はそんなに柔な国ではないと思う。
デジタル化、なかなか進展しないですね。
日本人はマニュアルを作るのが下手!ということと日本でデジタル化が進まないということの要因の一つに日本語が便利が良すぎるということがあるのではないでしょうか。
便利が良いとは、漢字平仮名カタカナローマ字と各種使える、さらには全角半角文字まである。
わたしは電力業界に多少かかわていて良く出てくる用語としてサンソウサンセンがあります。
これを漢字で書くと
三相三線、三相3線、3相三線、3相3線
さらに数字を半角文字で書くとさらに増えて合計で7種類となります。
発音するとみな同じに聞こえる言葉が文字に起こすと異なる文字があれこれ出てくる。これがデジタル化の障壁になっているのではないか、
さらに、これらの言葉の相違を会話の中、あるいは文書を読みながら自動的に脳内で変換して会話を成立させている。
銀行の窓口で伝票の記載ミスがあれば行員が親切丁寧に書き方を教えてくれるが、パソコンのオンライン画面ではエラーの指摘はするがどこをどうすればよいのかまではなかなか指摘してくれない
最後はパソコンなんか使い物にならないと怒り出す。
かくてデジタル化はちっとも進展しない。
チャンチャン
日本人がマニュアルつくりがヘタといわれているのですね。
私は逆に結構得意でした。
社内用の業務マニュアルなどや、海外との技術提携用のマニュアルなども必要に駆られた自ら作成したりしていました。
しかし、社内の優秀と思われる技術者たちもたしかにあまり得意ではなく、何年も出来ずにいたのも事実です。
何の差があるのか? とも思いましたが、日本語の便利さなのでしょうか。
英語が得意な方もあまりギジュツマニュアルなどは作るのは得意ではないので、何か別な要因もあるように思います。
日本人は白黒をはっきりさせることをあまり良い事だとは考えていないせいではないかなどと思っています。
曖昧を好むのです。
デジタル化にとってはこの曖昧さは命取りです。
先ずは白黒つけて、違っていれば何か条件を足してその判断基準を修正していく・・・・
こういうプロセスがどうも苦手なのですよね。
韓国のハングルはもっと単純で、漢字を使わなくなり同じ意味を持つ語がたくさん出来ているようです。
そうすると、会話していても歴史認識などはお互いがまったく違った文化で話し合う事になりまとまらないですね。
今後益々仲良くしていく事が難しくなりそうです。
日本の官僚の作成文章やなどはまさに「玉虫色」にしておきたいのでしょうね。