息栖神社から蚕霊神社へ (その一)
年末に銚子行きの途中で、また東国三社のひとつ「息栖神社」にお参りさせてもらいました。
この神社へも何度も立ち寄りましたが、だんだん思いが深くなるようで、気持ちが落ち着きます。

きれいな参道とその先に朱色の門。
正月の参拝に準備がされていて、密にならないように注意の看板が立てられていました。
また、古札の置き場所なども。

朱色の門の先に拝殿と本殿が。
ただ、火災で焼けてから、コンクリート製になった拝殿などは少し違和感もありますが、段々目に馴染んできました。

今回は参拝が第一目的ですが、ここにある芭蕉の句碑をもう一度眺めておくことも目的のひとつです。
「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」
この句は、芭蕉が潮来の月見で、鹿島地方に来た(鹿島紀行)で読んだもので、この息栖神社の性格をよく表していると感じる。
気吹戸主は
イサナギが黄泉の国から地上に戻った時に、死の国で汚れた汚いものを洗い流したときに生まれた神様だ。

そうそう、この句碑の前に置かれているかわいらしい狛犬さん?
何時頃祀られたものなのでしょう。
この神社へも何度も立ち寄りましたが、だんだん思いが深くなるようで、気持ちが落ち着きます。

きれいな参道とその先に朱色の門。
正月の参拝に準備がされていて、密にならないように注意の看板が立てられていました。
また、古札の置き場所なども。

朱色の門の先に拝殿と本殿が。
ただ、火災で焼けてから、コンクリート製になった拝殿などは少し違和感もありますが、段々目に馴染んできました。

今回は参拝が第一目的ですが、ここにある芭蕉の句碑をもう一度眺めておくことも目的のひとつです。
「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」
この句は、芭蕉が潮来の月見で、鹿島地方に来た(鹿島紀行)で読んだもので、この息栖神社の性格をよく表していると感じる。
気吹戸主は
イサナギが黄泉の国から地上に戻った時に、死の国で汚れた汚いものを洗い流したときに生まれた神様だ。

そうそう、この句碑の前に置かれているかわいらしい狛犬さん?
何時頃祀られたものなのでしょう。
コメント