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息栖神社から蚕霊神社へ(その二)

 息栖神社に参拝して、拝殿に向かって右側にある「息栖神社にゆかりの句碑」にも目を向けてきました。
ここにある藤原時朝の句をもう一度確認してきたのです。

「鹿島潟沖洲の森のほととぎす船をとめてぞ初音ききつる」

この藤原時朝は初代笠間氏の「笠間時朝」のことです。
時朝はかなりの文化人で、京都の三十三間堂の千体ある千手観音立像の寄進者(1001体のうちの2体)として唯一名前が判明している人物です。

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時朝は鹿島神宮に詣でるときに僧侶を連れてこの近くを通りました。
そしてともに多くの句を詠みました。

この息栖神社もその昔、霞ケ浦や利根川河口一帯は大きな内海で、中洲のような小島が点在していたようです。

息栖神社の説明では
「この中州に鎮座された祠を、大同二年(807年)、平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂により現在地の息栖に遷座したと伝承されています。」
と書かれています。

この元あった場所はどのあたりかはあまりはっきりとは書かれていませんが、それが現在の蚕霊神社辺りではないかと考えています。

前にも常陸国の三大養蚕神社のひとつと言われるこの蚕霊神社へは訪問していますが、改めてここでまた紹介します。
今日はこれから出かけてしまいますので続きはまた明日にでも書きます。

鹿島神宮 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/30 10:33
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