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息栖神社から蚕霊神社へ(その三)

東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)を結ぶと、丁度直角三角形になる。
このため、パワースポットとしてのレイラインなども語られているが、この中の息栖神社は大同二年(807年)に平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂により東南側の日川の地より現在地に移転したといわれています。
移転がこの直角三角形(息栖神社から真北に鹿島神宮、真西に香取神宮)となるように配置したものと思われます。

ただ、現在の息栖神社にある清らかな真水の湧く「男瓶、女瓶」は、移転の時に三日三晩泣き続けた後に、自力でこの神社の後を追い移ってきた現在地に移ったといいます。
神社の説明では、「この地に定着して後も、時々日川を恋しがり二つの瓶は泣いた。日川地区には瓶の泣き声をそのままの「ボウボウ川」と、瓶との別れを惜んで名付けた「瓶立ち川」の地名が今も残されています。」と書かれています。

ただ、ボウボウ川、瓶立ち川の名称についてはまだよく私は確認が出来ていません。

ただこの男女瓶がある「忍潮井」は194年に造られたとの説明がありますが、そうするとこの泉は昔あった番所に最初はあったのでしょうか?謎が深まります。

この昔あった場所には現在常陸国三大養蚕神社の一つである「蚕霊神社」があり、この場所ではないかと思って以前散策しました。他の2つはつくば市神郡の蚕影山神社と日立市川尻の蚕養神社です。

今回もまた、昔を頼りに息栖神社から常陸利根川に沿った旧道を西に車を走らせました。
昔の記憶を頼りに、大分進んだ所に見えてきた木がこんもり茂った場所を見つけ行って見ました。
記憶はぼんやりでしたが、ナビや住所を知らずとも蚕霊(さんれい)神社にたどり着きました。

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通りから奥の方に神社に向かって参道が続いています。

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入口には説明看板が・・・
他の養蚕神社と同じく、紀元前286年のインドの姫「金色姫」のお話しが書かれています。
日川の豊浦浜に金色姫を乗せた舟がたどり着いたとなっています。
他の二神社も同じ「豊浦」です。

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この神社は拝殿も色鮮やかな赤が目に鮮やかです。

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拝殿裏の本殿も同じく、赤色が目立ちます。

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全国には「蚕霊神社」という名前の神社は結構多いようです。読み方も「こだま神社」「これい神社」「さんれい神社」など様々です。

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ここの蚕霊神社の参道をつなぐようにお寺があります。
「星福寺」といいます。

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寺の正式名所は「蚕霊山千手院星福寺」というようです。
また、現在の日川は「鹿島郡豊良浦日向川」といったとも書かれています。

三大実録には息栖神社を「於岐都説神社」と記載されており、日立市の蚕養神社もやはり「於岐都説神社」と言われていたと、確か記憶にあります。

どういう関係なのか気になりますね。

それでは今回はここまで、わからない事は頭の片隅において残しておきましょう。

今年も1年間有難うございました。
どうど皆さん良いお年をお迎えください。



鹿島地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2021/12/31 12:51
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