潮来の愛染院
先日石岡から銚子へ行くときに、玉造から国道355号線で北浦大橋手前の領域を少し散策。
その後北浦の西側沿い(行方市)から潮来(延方)方面へ。
途中に「かんぽの宿潮来」があるのだが、これが今年7月1日より「亀の井ホテル」となった。
結構あちこちのかんぽの宿がリニューアルと称して別なホテルチェーンなどに変わっている。
福島県いわき市の「かんぽの宿いわき」は今年4月から別会社が経営している。
このように郵政グループが運営していた33施設のうち殆んど全て(32施設)が昨年秋に別な会社への譲渡が決っている。
一般に安く泊まれたかんぽの宿は、かなり価格は高級クラスに仲間入りのようだ。
さて、この宿の直ぐ南側の北浦湖岸道路沿いにひときわ目立つ寺院がある。

愛染明王を祀る「愛染院(あいぜんいん)」といいますが、正式名称は「東雲山愛染院根本寺」です。
ただ真言宗豊山派の寺院で、本尊は「如意輪観世音菩薩」(県指定重要文化財)です。
県の文化財の指定ページでの像の名称も「木造 如意輪観世音菩薩像(附胎内仏)」となっています。
説明としては
「この像は、像高59.4cm、檜材の寄木造で、首が差込み、玉眼(ぎょくがん)入りで、耳の後で矧(は)ぎ、結髪(けっぱつ)を矧いでいます。両臂(ひじ)六手とも差込みです。
持物の宝珠(ほうじゅ)、輪宝(りんぽう)、蓮華は後補です。制作年代は室町時代と考えられます。
胎内仏は像高5.9cm、一木造で藤原時代初期の作と推定されます。」
として、像の中に小さな体内仏が入れられているそうです。
伝承によればこの体内仏は空海(弘法大師)の作で、八幡太郎義家の守護仏であったが、鹿島に詣でるときに北浦が荒れて、ここに庵を建て、守護仏を祀って波を沈めたと伝わります。

地元では地元の地名で「水原の観音様」と呼ばれています。

平成になり合祀された成就院の聖観音菩薩像?

愛染院の呼び名は、宝永元年(1704)に、麻生藩主新庄直隆から再建記念として愛染明王像が寄進され、以後麻生藩主新庄家の祈願所となったことによるという。

寺の裏山へ急な階段があり、上には金毘羅宮が祀られています。
前には上まで登りましたが、今回は暑さもあり、登る気になれませんでした。


本堂。
ここには「歓喜天」が祀られています。



その後北浦の西側沿い(行方市)から潮来(延方)方面へ。
途中に「かんぽの宿潮来」があるのだが、これが今年7月1日より「亀の井ホテル」となった。
結構あちこちのかんぽの宿がリニューアルと称して別なホテルチェーンなどに変わっている。
福島県いわき市の「かんぽの宿いわき」は今年4月から別会社が経営している。
このように郵政グループが運営していた33施設のうち殆んど全て(32施設)が昨年秋に別な会社への譲渡が決っている。
一般に安く泊まれたかんぽの宿は、かなり価格は高級クラスに仲間入りのようだ。
さて、この宿の直ぐ南側の北浦湖岸道路沿いにひときわ目立つ寺院がある。

愛染明王を祀る「愛染院(あいぜんいん)」といいますが、正式名称は「東雲山愛染院根本寺」です。
ただ真言宗豊山派の寺院で、本尊は「如意輪観世音菩薩」(県指定重要文化財)です。
県の文化財の指定ページでの像の名称も「木造 如意輪観世音菩薩像(附胎内仏)」となっています。
説明としては
「この像は、像高59.4cm、檜材の寄木造で、首が差込み、玉眼(ぎょくがん)入りで、耳の後で矧(は)ぎ、結髪(けっぱつ)を矧いでいます。両臂(ひじ)六手とも差込みです。
持物の宝珠(ほうじゅ)、輪宝(りんぽう)、蓮華は後補です。制作年代は室町時代と考えられます。
胎内仏は像高5.9cm、一木造で藤原時代初期の作と推定されます。」
として、像の中に小さな体内仏が入れられているそうです。
伝承によればこの体内仏は空海(弘法大師)の作で、八幡太郎義家の守護仏であったが、鹿島に詣でるときに北浦が荒れて、ここに庵を建て、守護仏を祀って波を沈めたと伝わります。

地元では地元の地名で「水原の観音様」と呼ばれています。

平成になり合祀された成就院の聖観音菩薩像?

愛染院の呼び名は、宝永元年(1704)に、麻生藩主新庄直隆から再建記念として愛染明王像が寄進され、以後麻生藩主新庄家の祈願所となったことによるという。

寺の裏山へ急な階段があり、上には金毘羅宮が祀られています。
前には上まで登りましたが、今回は暑さもあり、登る気になれませんでした。


本堂。
ここには「歓喜天」が祀られています。



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