穴寺へ
先日銚子へ行く途中で、行方市の教育委員会のある北浦庁舎へ資料を頂くために立ち寄った。
これはその前に沖洲地区高台側にある「石神遺跡」の場所が近くに行ってもわからなかったために問い合わせのメールをしていて、石神遺跡に関する資料をコピーしていただいたのをとりに伺ったものだ。
石岡からはこの北浦の庁舎は結構遠いイメージがあり、街道周辺以外はあまりたちることが無い場所でもある。
ただし、今回あちこちうろうろしながら古い道を車で走ったが、まだまだ知らないところが多いのを感じた。
空からの航空写真で見つかったという「井上長者屋敷跡」「「ナウマン象の骨が見つかった場所」、犬の骨がバラバラで見つかったという「於下貝塚」、筑波の小田城にきて極楽寺を建てた忍性が再興したと伝えられる「小幡の観音寺」、相賀の里、武田の里・・・やはりまだまだ未知の場所でもある。
今回は時間も無かったので、庁舎ヘ立ち寄った後は、北浦を鹿行大橋でわたり、そのまま直進して「大蔵」交差点手前左側の穴寺(福泉寺)に行ってみた。
大蔵山福泉寺というらしいが、あまりにも特徴的な「穴寺」の名称を覚えてしまっているので、正式名称はよくわすれてしまう。
国道沿いの左側に寺への入口石柱が立っている。

この門から寺へ道は鬱蒼とした木々の中を一気に下っていく。
本当に穴の中に入っていく感じがする。
前にも一度来ているが、県内でも数少ない「清凉寺式仏像」が国の重要文化財に指定されている。

案内板は「清涼寺」となっているが、正しくは「清凉寺」である。
私も昔は清涼寺と書いていたので、偉そうにはいえないが、途中から指摘されて気がついた。
一度見たいと思いながらまだ実物を拝顔していない。
お釈迦さまの誕生日の4月8日に確か一般解放されていたと思うので、できるだけ今度は時間をとっていってみたい。
お釈迦さまの生身の像とはどんなものなのか????



写真右側のコンクリートの保管庫に国指定重文の釈迦如来像が保管されている。
これはその前に沖洲地区高台側にある「石神遺跡」の場所が近くに行ってもわからなかったために問い合わせのメールをしていて、石神遺跡に関する資料をコピーしていただいたのをとりに伺ったものだ。
石岡からはこの北浦の庁舎は結構遠いイメージがあり、街道周辺以外はあまりたちることが無い場所でもある。
ただし、今回あちこちうろうろしながら古い道を車で走ったが、まだまだ知らないところが多いのを感じた。
空からの航空写真で見つかったという「井上長者屋敷跡」「「ナウマン象の骨が見つかった場所」、犬の骨がバラバラで見つかったという「於下貝塚」、筑波の小田城にきて極楽寺を建てた忍性が再興したと伝えられる「小幡の観音寺」、相賀の里、武田の里・・・やはりまだまだ未知の場所でもある。
今回は時間も無かったので、庁舎ヘ立ち寄った後は、北浦を鹿行大橋でわたり、そのまま直進して「大蔵」交差点手前左側の穴寺(福泉寺)に行ってみた。
大蔵山福泉寺というらしいが、あまりにも特徴的な「穴寺」の名称を覚えてしまっているので、正式名称はよくわすれてしまう。
国道沿いの左側に寺への入口石柱が立っている。

この門から寺へ道は鬱蒼とした木々の中を一気に下っていく。
本当に穴の中に入っていく感じがする。
前にも一度来ているが、県内でも数少ない「清凉寺式仏像」が国の重要文化財に指定されている。

案内板は「清涼寺」となっているが、正しくは「清凉寺」である。
私も昔は清涼寺と書いていたので、偉そうにはいえないが、途中から指摘されて気がついた。
一度見たいと思いながらまだ実物を拝顔していない。
お釈迦さまの誕生日の4月8日に確か一般解放されていたと思うので、できるだけ今度は時間をとっていってみたい。
お釈迦さまの生身の像とはどんなものなのか????



写真右側のコンクリートの保管庫に国指定重文の釈迦如来像が保管されている。
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