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石神遺跡(環状列石?)

 行方市沖洲の山側に縄文時代の環状列石遺跡に似ているとされる「石神遺跡」があります。

行方市の文化財の案内にあり、少し興味を持ってその示されていた住所を訪ねてみました。
しかし、書かれていた住所の最終番地はナビで表示されておらず、近くを探したのですが、近くは沖洲藝術村の奥で、宅地開発されて造成されている感じでした。

もっとも造成と言ってもかなり前で、今では住んでおられる人も少なめで、草木が生茂っている場所も多く、史跡位置が分らなかったのです。
そこで、行方市の教育委員会にメールで場所をたずね、また何か参考になる資料などがないかを問い合わせました。

丁寧にお返事をいただけたので、先日場所の確認と資料のコピーを頂いて来ました。

行方市の3つの市町村(玉造、麻生、北浦)が合併しており、教育委員会は北浦庁舎に置かれていました。
初めて伺いましたが、庁舎の2階全部が行方市の教育委員会でした。

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説明をいただき、史跡の場所が判明。
以前探していた近くでしたが、やはり聞かないと分らないですね。
遺跡は写真のような石で取り囲んだサークルの真ん中に少し大きめの石と、内側の南端部に大きめの細長い石が立ててあります。

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このあたりの地名は「石神」と言うらしい。
この名前からこれを環状列石遺構ではないかと・・・・・・・

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そして、教育委員会から頂いた資料。
玉造史叢(第7集)に鼓乙音さんが書かれた「沖洲の環状列石について」という報告書だ。
調べると、この書籍は「玉造町郷土文化研究会」が会員の発表を年1回まとめて7月に発行されているもので、第7集は1966年(昭和41年)に発行されたと推察されます。

また著者である「鼓乙音」というのはペンネームで、本名は堤一朗さんというようだ。
玉造小学校史などもまとめられている方であった。

文章には昭和37年に発見したとあり、昭和38年2月に土地所有者の了解を得て、表土を掘って見たところ、20cmほど掘ったところから半円のいろいろな大きさの石が三重に式並べてあったという。

P7280005s.jpg

大きさとしては木々の大きさや隣の民家などの大きさから判断できると思うが、それ程大きなものではない。
秋田の大湯などとは比べようも無いが・・・。

真中の丸柱状の石は長さが80cmほどで、花崗岩だという。

いずれにしてもまだ解明されていないようなので、そのうち興味のある研究者の方が解明していただけるとありがたい。
三昧塚古墳や沖洲古墳群も近くにあるので、しばらく少しウォッチしておこうと思う。

(追記)
後から確認したが、現在の遺跡が置かれておる場所は、もともとあった場所ではなく、住宅開発で少し移されたらしい。
また、少し地中に埋まっていたものを現在の地表に並べ直したようだ。
そうすると、この下の地下を掘ってみたいという考えは意味をなさないな。(2023.1.18)

小美玉・行方地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2022/08/08 13:17
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