山方宿御城
水郡線の常陸大宮市にある道の駅の少し先(北)に「山方宿」という場所がある。
コロナ禍騒動前までは「日本一の芋煮会」と大きな看板が目に付いたが、コロナ禍で中止となったりしてその存在感が少し薄れてきた。
日本一大きななべを使って芋煮をするのだそうだ。
また、この山方宿は久慈川を越えて三太の湯や金砂の湯などの日帰り温泉施設への入り口でもある。
しかし、このブログでも「常陸国における源平合戦」シリーズを書いたが、1591年の佐竹氏による「南方三十三館仕置き」事件の史実を追いかけて、以前この山方宿にもやってきた。
鹿島氏親子はこの地に連れてこられて、殺されたということが分ったのだ。
しかし、その時にこの最近作られた佐竹派の山方氏のお城「御城」(観光展望台)に立ち寄っていなかったので、今回近くに来たついでに上ってみた。

山方宿の町の北側に「御城(みじょう)展望台」がある。
この御城は昔の山方氏の城跡に最近立てられた御城であるが、場所は国道118号線の山方宿を少し過ぎ、「岩井橋」という信号がある。右に行くと久慈川を渡って三太の湯などの方に行く。信号の先に比較的短いトンネルがあるが、このトンネルの上がこの御城展望台だ。
上り口はこの岩井橋を左折して直ぐに、御城展望台入口の看板があり、そこに駐車場がある。
車も先まで上れるようだが、一応この駐車場に車を停めて歩いて上ってみた。

上り始めて直ぐに小さな川を渡るが、そこの橋は「嘆願橋」と名付けれれている。
お城への嘆願をここで受け付けていたというのだが、三十三館仕置きで、この橋で鹿島氏の長子が殺された(自害した?)とされていたことを思い出した。
この鹿島氏の長子は近くの寺に大きな五輪塔が建てられ祀られている。

この御城展望台は建設当初は見学は有料だったが今は無料になったという。
ただ、この日は月曜日で休館であった。
この御城建設は、東京に住む山方氏の御子孫の方たちが保存していた資料などが展示されているという。
また建設に当っては高額な資金提供もされているようだ。

中世のお城が当時どのような姿であったかは知らない。 恐らく全く別な姿ではないかとも思うが、石垣が組まれた城(天守閣)が復元されていた。

休館日に勝手に上ってきたが、蝉の声が結構聞こえ、それでも誰もおらず静かな空間であった。
下の方は車の通る音が微かに聞こえる程度だ。
昔のお城はどのようなものだったのだろうか?
山方氏や城の歴史は ⇒ こちら(常陸 山方城-城郭放浪記)参照ください。
なかなか名門のようだ。
コロナ禍騒動前までは「日本一の芋煮会」と大きな看板が目に付いたが、コロナ禍で中止となったりしてその存在感が少し薄れてきた。
日本一大きななべを使って芋煮をするのだそうだ。
また、この山方宿は久慈川を越えて三太の湯や金砂の湯などの日帰り温泉施設への入り口でもある。
しかし、このブログでも「常陸国における源平合戦」シリーズを書いたが、1591年の佐竹氏による「南方三十三館仕置き」事件の史実を追いかけて、以前この山方宿にもやってきた。
鹿島氏親子はこの地に連れてこられて、殺されたということが分ったのだ。
しかし、その時にこの最近作られた佐竹派の山方氏のお城「御城」(観光展望台)に立ち寄っていなかったので、今回近くに来たついでに上ってみた。

山方宿の町の北側に「御城(みじょう)展望台」がある。
この御城は昔の山方氏の城跡に最近立てられた御城であるが、場所は国道118号線の山方宿を少し過ぎ、「岩井橋」という信号がある。右に行くと久慈川を渡って三太の湯などの方に行く。信号の先に比較的短いトンネルがあるが、このトンネルの上がこの御城展望台だ。
上り口はこの岩井橋を左折して直ぐに、御城展望台入口の看板があり、そこに駐車場がある。
車も先まで上れるようだが、一応この駐車場に車を停めて歩いて上ってみた。

上り始めて直ぐに小さな川を渡るが、そこの橋は「嘆願橋」と名付けれれている。
お城への嘆願をここで受け付けていたというのだが、三十三館仕置きで、この橋で鹿島氏の長子が殺された(自害した?)とされていたことを思い出した。
この鹿島氏の長子は近くの寺に大きな五輪塔が建てられ祀られている。

この御城展望台は建設当初は見学は有料だったが今は無料になったという。
ただ、この日は月曜日で休館であった。
この御城建設は、東京に住む山方氏の御子孫の方たちが保存していた資料などが展示されているという。
また建設に当っては高額な資金提供もされているようだ。

中世のお城が当時どのような姿であったかは知らない。 恐らく全く別な姿ではないかとも思うが、石垣が組まれた城(天守閣)が復元されていた。

休館日に勝手に上ってきたが、蝉の声が結構聞こえ、それでも誰もおらず静かな空間であった。
下の方は車の通る音が微かに聞こえる程度だ。
昔のお城はどのようなものだったのだろうか?
山方氏や城の歴史は ⇒ こちら(常陸 山方城-城郭放浪記)参照ください。
なかなか名門のようだ。
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