義人助六(1)
昨日は月末の処理で追われて一息つき、このブログにある助六の首塚を見にいったのだが、そして今日は仕事でいつもの様に朝、車で仕事場に行った。
そしてあることに気がついた。
「そうだ今日は○○さんの定年祝賀会だった」と
何ということだ。すっかりボjケが来てしまった。
どうも曜日を1日勘違いしたらしい。明日が祝賀会と思いこんでいたのである。
それでも、予定通り出席して、今電車で帰って来た。
ということで、今日のテーマは明日と分けて書く事にしたい。
実は、このブログのテーを書くのに調べなければならないことが結構ある。
何時もそうだが、ホームページではできるだけ史実と思われる一般的なことを書き、このブログはそこにかかわる周りの人や景色、道やそこに咲く花などについて書きたいと思っている。
約2年くらい調べながらホームページを立ち上げてそこの歴史などを紹介してきたが、これでは単なる歴史案内、観光案内でしかないのである。
そこに行った時に感じるもの、伝わってくるもの。人との触れ合いなどを残していきたいと思うようになった。
そこでブログを活用させてもらい書き始めた。
しかし、これも続けると結構大変だ。
簡単な写真紹介などならいいのだが、それではこのブログの意味がない。
嘘も書けないし、なかなか面倒なものである。

これが、福田家の屋敷である。この辺りはかなりの旧家が多い。

屋敷の門をくぐって中に入ってみたが、普通の屋敷で、犬にも吠えられてすぐに出てきた。門の入り口には「助六の首塚」の説明看板が掲げてあるのだが、何処に行ったらよいかわからない。
屋敷の左側から裏の畑の方に行く横道があるのでそちらへまわってみた。
うろうろしているとそこに福田家の御主人らしき人が作業をしていた。
場所をおたずねして、見学のお許しを頂いた。とても人のよさそうな方で、ニコニコとして
「あそこの畑の先にある桜の木の所です。どうぞ見て行って下さい」という返事。
かすみがうら市の観光案内の説明には「見学の際は福田家の許可が必要」と書かれていたが、これは帰ってきてから調べてわかったもので、訪ねた時は気にもしていなかったのである。
その首塚は屋敷の裏手であり、福田家の墓所の中に置かれているので、そこにいかれたら家人に一声かけていかれた方がよさそうである。
御主人は訪れてくれたことがとてもうれしそうであった。
この助六一揆(百姓一揆)についてはあまり知られていないが、この地に長く根づき伝えられてきた「義人助六」を少し知っていなければならないことのように感じた。
石岡の人も少しこのようなことを掘り起こして伝えて行く大切さを感じてほしいと思っている。
詳細はまた明日にでも書きたいと思います。
そしてあることに気がついた。
「そうだ今日は○○さんの定年祝賀会だった」と
何ということだ。すっかりボjケが来てしまった。
どうも曜日を1日勘違いしたらしい。明日が祝賀会と思いこんでいたのである。
それでも、予定通り出席して、今電車で帰って来た。
ということで、今日のテーマは明日と分けて書く事にしたい。
実は、このブログのテーを書くのに調べなければならないことが結構ある。
何時もそうだが、ホームページではできるだけ史実と思われる一般的なことを書き、このブログはそこにかかわる周りの人や景色、道やそこに咲く花などについて書きたいと思っている。
約2年くらい調べながらホームページを立ち上げてそこの歴史などを紹介してきたが、これでは単なる歴史案内、観光案内でしかないのである。
そこに行った時に感じるもの、伝わってくるもの。人との触れ合いなどを残していきたいと思うようになった。
そこでブログを活用させてもらい書き始めた。
しかし、これも続けると結構大変だ。
簡単な写真紹介などならいいのだが、それではこのブログの意味がない。
嘘も書けないし、なかなか面倒なものである。

これが、福田家の屋敷である。この辺りはかなりの旧家が多い。

屋敷の門をくぐって中に入ってみたが、普通の屋敷で、犬にも吠えられてすぐに出てきた。門の入り口には「助六の首塚」の説明看板が掲げてあるのだが、何処に行ったらよいかわからない。
屋敷の左側から裏の畑の方に行く横道があるのでそちらへまわってみた。
うろうろしているとそこに福田家の御主人らしき人が作業をしていた。
場所をおたずねして、見学のお許しを頂いた。とても人のよさそうな方で、ニコニコとして
「あそこの畑の先にある桜の木の所です。どうぞ見て行って下さい」という返事。
かすみがうら市の観光案内の説明には「見学の際は福田家の許可が必要」と書かれていたが、これは帰ってきてから調べてわかったもので、訪ねた時は気にもしていなかったのである。
その首塚は屋敷の裏手であり、福田家の墓所の中に置かれているので、そこにいかれたら家人に一声かけていかれた方がよさそうである。
御主人は訪れてくれたことがとてもうれしそうであった。
この助六一揆(百姓一揆)についてはあまり知られていないが、この地に長く根づき伝えられてきた「義人助六」を少し知っていなければならないことのように感じた。
石岡の人も少しこのようなことを掘り起こして伝えて行く大切さを感じてほしいと思っている。
詳細はまた明日にでも書きたいと思います。
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