玄蕃山(その3)
この記事は平田篤胤が江戸時代に書いた「仙境異聞」に出てくる天狗小僧寅吉のその後を追いかけ、子孫が千葉県銚子で薬草湯の銭湯をやっていたという実話により、3年前に書いた「天狗湯を探せ」というブログの追加記事として書いています。
天狗湯を探せ ⇒ こちら
玄蕃山(その1) ⇒ こちら
玄蕃山(その2) ⇒ こちら
さて、銚子の飯沼観音を見下ろせる少し高台の小山が玄蕃山と呼ばれていますが、この場所は銚子でいち早く(江戸の初期の1616年)醤油醸造を始めた田中玄蕃という人が領していた場所と言われ、ヒゲタ醤油を始めた所とみられています。

ではここで、銚子と常陸国岩間(現笠間市)の愛宕神社との位置関係を見てみましょう。
寅吉が天狗修行をした岩間山(現愛宕山)は銚子の北西方向(戌亥=乾いぬい)にあります。
この線をさらに先へたどっていくと日光となります。ここも天狗の聖地です。
もう1カ所天狗の神社としても知られる「大杉神社」の総本山の場所を赤まるで示しています。
ここも忘れてはいけないように思います。「茨城の日光東照宮」とも呼ばれるほど凝った作りの神社です。
ヒゲタ醤油の創始者である「田中玄蕃」は江戸初期に醤油を始めるにあたってこの大杉神社を訪れたといわれています。
さて、では銚子の玄蕃山を見てみましょう。
銚子北側の国道を銚子電鉄に沿って東に進むと飯沼観音のある交差点に出ます。
ここを右に(南へ)曲がると、銚子電鉄の「観音駅」があり、この踏切を越えてすぐ「飯沼小坂下」信号があります。
ここを左に少し狭い道を曲がって、2手に道が分かれますが、右に坂を上ると左手の森が玄蕃山で右手に飯沼小学校があります。

上の写真のような坂道の右手に飯沼小学校があり、左手には古木の生い茂った森があり、この森が玄蕃山と呼ばれていまし。
ただ昔はこの小学校辺りも玄蕃山と言われていたのではないかと思います。

この森は結構木や草に覆われていて、中に入っていけません。
少し先へ行った辺りで入れそうな場所もありますが、藪をかき分けねばなりません。

右手には飯沼小学校があります。
小学校からはこの森がすぐ手前で、そのすぐ北側を銚子電鉄の線路があり、線路の北側には住宅も広がっています。

小学校の東端あたりから森へ続きそうな道があったので入ってみました。

その入り口には福寿院と書かれた百度石(お百度詣りの標識となる石)などがありました。
これはここからどこにお参りしていたのでしょうか。
ここにお寺があったようなのですが、今は寺院というより普通の住宅と言った家が建っています。
ただここから坂を下って浅間山の方に道が続いています。

そして、その先は森の中の道へ、線路に向かって下っていきます。

そして、線路には小さな踏切があり、渡れるようですが、少し危険ですね。
ただこの先は住宅地で、その先に浅間山(浅間神社、愛宕神社)へ続いています。
Googleの地図には、この手前左側の森の中に「玄蕃井戸」のマークが書かれているのですが、どこから行けば・・・・・
仕方がないので、最初の方に戻って、飯沼小坂下を入って小学校への坂を上らずに、左側の住宅などの方向へ行ってみました。
ここはこの森の下側になり、少し家がありますが道も途中で途切れてしまいます。
ただ、雨の後でもありましたが、結構水が溜まりじめじめしています。
また山側の崖にはいくつもの横穴が開いています。

このように金網でふさがれたものもありますが、草で覆われてよくわからなところも含めると7~8個くらいはあります。
後から聞いてみたところ、これらは戦時中の防空壕の跡で、線路の反対側の公園側にも昔はあったとのこと。
また、昭和20年7月の空襲の時は、皆この穴の中に逃げ込んだそうです。

玄蕃井戸と呼ばれる遺跡はこの先にありそうなのだが、余り汚れてまで探す元気はなく引き返した。
玄蕃井戸(別名:竜の井)はヒゲタ醤油つくりに使われた水をこちらの湧水をためておき、ここから引いて使ったというレンガつくりの遺跡です。
まあ、それほど見たいわけでもないが、又暇なら探してみましょう。
浅間山のところの踏切を犬吠埼方面に渡ったすぐ先の右側に「愛宕神社」があるので、そこにも行ってみました。

コンクリ造りの神社拝殿と、右側に小屋があります。

神社の鳥居は拝殿の正面ではなく左側にあります。

右側の小屋の中には神輿がしゅうのうされており、奥の壁には寄付者などのお名前の書かれた木札がびっしりと並べられていました。

神社の神紋は三つ葉葵の徳川家のご紋でした。
こちら側の愛宕町の守り神としてあった愛宕神社を復活させて建立したのかもしれません。
ただ、これも勝手な解釈で、もう少し地元などで聞いてみなければよくわかりません。
今はただメモとして残しておくことにします。
天狗湯を探せ ⇒ こちら
玄蕃山(その1) ⇒ こちら
玄蕃山(その2) ⇒ こちら
さて、銚子の飯沼観音を見下ろせる少し高台の小山が玄蕃山と呼ばれていますが、この場所は銚子でいち早く(江戸の初期の1616年)醤油醸造を始めた田中玄蕃という人が領していた場所と言われ、ヒゲタ醤油を始めた所とみられています。

ではここで、銚子と常陸国岩間(現笠間市)の愛宕神社との位置関係を見てみましょう。
寅吉が天狗修行をした岩間山(現愛宕山)は銚子の北西方向(戌亥=乾いぬい)にあります。
この線をさらに先へたどっていくと日光となります。ここも天狗の聖地です。
もう1カ所天狗の神社としても知られる「大杉神社」の総本山の場所を赤まるで示しています。
ここも忘れてはいけないように思います。「茨城の日光東照宮」とも呼ばれるほど凝った作りの神社です。
ヒゲタ醤油の創始者である「田中玄蕃」は江戸初期に醤油を始めるにあたってこの大杉神社を訪れたといわれています。
さて、では銚子の玄蕃山を見てみましょう。
銚子北側の国道を銚子電鉄に沿って東に進むと飯沼観音のある交差点に出ます。
ここを右に(南へ)曲がると、銚子電鉄の「観音駅」があり、この踏切を越えてすぐ「飯沼小坂下」信号があります。
ここを左に少し狭い道を曲がって、2手に道が分かれますが、右に坂を上ると左手の森が玄蕃山で右手に飯沼小学校があります。

上の写真のような坂道の右手に飯沼小学校があり、左手には古木の生い茂った森があり、この森が玄蕃山と呼ばれていまし。
ただ昔はこの小学校辺りも玄蕃山と言われていたのではないかと思います。

この森は結構木や草に覆われていて、中に入っていけません。
少し先へ行った辺りで入れそうな場所もありますが、藪をかき分けねばなりません。

右手には飯沼小学校があります。
小学校からはこの森がすぐ手前で、そのすぐ北側を銚子電鉄の線路があり、線路の北側には住宅も広がっています。

小学校の東端あたりから森へ続きそうな道があったので入ってみました。

その入り口には福寿院と書かれた百度石(お百度詣りの標識となる石)などがありました。
これはここからどこにお参りしていたのでしょうか。
ここにお寺があったようなのですが、今は寺院というより普通の住宅と言った家が建っています。
ただここから坂を下って浅間山の方に道が続いています。

そして、その先は森の中の道へ、線路に向かって下っていきます。

そして、線路には小さな踏切があり、渡れるようですが、少し危険ですね。
ただこの先は住宅地で、その先に浅間山(浅間神社、愛宕神社)へ続いています。
Googleの地図には、この手前左側の森の中に「玄蕃井戸」のマークが書かれているのですが、どこから行けば・・・・・
仕方がないので、最初の方に戻って、飯沼小坂下を入って小学校への坂を上らずに、左側の住宅などの方向へ行ってみました。
ここはこの森の下側になり、少し家がありますが道も途中で途切れてしまいます。
ただ、雨の後でもありましたが、結構水が溜まりじめじめしています。
また山側の崖にはいくつもの横穴が開いています。

このように金網でふさがれたものもありますが、草で覆われてよくわからなところも含めると7~8個くらいはあります。
後から聞いてみたところ、これらは戦時中の防空壕の跡で、線路の反対側の公園側にも昔はあったとのこと。
また、昭和20年7月の空襲の時は、皆この穴の中に逃げ込んだそうです。

玄蕃井戸と呼ばれる遺跡はこの先にありそうなのだが、余り汚れてまで探す元気はなく引き返した。
玄蕃井戸(別名:竜の井)はヒゲタ醤油つくりに使われた水をこちらの湧水をためておき、ここから引いて使ったというレンガつくりの遺跡です。
まあ、それほど見たいわけでもないが、又暇なら探してみましょう。
浅間山のところの踏切を犬吠埼方面に渡ったすぐ先の右側に「愛宕神社」があるので、そこにも行ってみました。

コンクリ造りの神社拝殿と、右側に小屋があります。

神社の鳥居は拝殿の正面ではなく左側にあります。

右側の小屋の中には神輿がしゅうのうされており、奥の壁には寄付者などのお名前の書かれた木札がびっしりと並べられていました。

神社の神紋は三つ葉葵の徳川家のご紋でした。
こちら側の愛宕町の守り神としてあった愛宕神社を復活させて建立したのかもしれません。
ただ、これも勝手な解釈で、もう少し地元などで聞いてみなければよくわかりません。
今はただメモとして残しておくことにします。
ご先祖さまと伺い、驚きました。
いろいろ検索してみたのですが、わからずにおりました。
もしお差し支えなければ、少しご先祖の、天狗湯に係わるお話などや、経歴など
差し支えのない範囲で結構ですので、非公開コメントでお教えいただけたら嬉しいです。
勝手なお願いでご迷惑かもしれませんので、無視されても構いません。