風土記とクジラ
常陸国風土記を読み勧めていくと、クジラの話が何箇所かに出てくる。
このようなことも少しまとめておけば当時の様子も見えてくるかもしれない。
とりあえず気付いた箇所の3箇所です。
行方郡
1) 郡の西に津済(わたり)あり。謂はゆる行方の海なり。海松、及塩を焼く藻生ふ。
凡て、海に在る雑の魚は、載するに勝ふべからず。
但、鯨鯢の如きは、未だ曾て見聞かず。
・・・・当時内海で海水が流れ込んでいた霞ヶ浦にはいろいろな魚類がいるがクジラはいなかった。
ただ、土浦などの貝塚ではクジラの骨が見つかっており食用にしていた時代も昔はあったと思われています。
この漢字の鯨鯢はそれぞれ単独でもクジラと読みますが、鯨は雄、鯢は雌のクジラを指すようです。
2) 男高の里あり。・・・・南に鯨岡有り。上古之時、海鯨、葡匐(はらば)ひて来り臥せりき。
鯨岡の地名由来として、「太古の昔に鯨が浜にはいつくばって死んでしまったことからその名前になった」と書かれています。
しかし、この鯨岡という地名は今近くにありません。そこで、この場所の候補地として言われているのが次の場所です。
このブログの後半でここを紹介します。
久慈郡
3) 郡より以南、近く小さき丘有り。体、鯨鯢に似たり。倭武の天皇、因りて久慈と名づけたまひき。
・・・確かに今でも鯨に似ていると言われれば、そんな岳は存在する。
茨城県内の地名にクジラと付くのは、現在の郵便番号簿では次の3箇所です。
勿論昔の字名などではたくさんあると思います。
・茨城県石岡市鯨岡 イバラキケンイシオカシクジラオカ
・茨城県下妻市鯨 イバラキケンシモツマシクジラ
・茨城県筑西市久地楽 イバラキケンチクセイシクジラ
さて、2番目に書いた行方郡の「鯨岡」ですが、国道355号線を石岡の方から霞ヶ浦に沿って南(東)下して、行方市に入り、玉造を過ぎ、男高に近い旧麻生町に近い「橋門(はしかど)」という場所にあります。
この国道沿いに小さな小山があり、その上に祠がおかれています。

案内版には「橋門の阿弥陀様」と書かれています。

この国道側から上に登る階段がありますが、上にある社の向きは右手を向いており、そこに手水舎らしきものもあります。

この右手側も広場となっていて、こんな感じですので、恐らくは昔はこちら側からお参りに上ったものだと思います。

阿弥陀様となっていますが、この社の中は写真のようないくつかの石の板碑などが置かれています。
説明板に書かれているようにこの板碑に阿弥陀像が彫られているのかもわかりません。
説明にもありますが、この小山はどうみても古墳ですね。

祠の建設時に古墳がけずられてしまっていますし、恐らく国道建設時にも古墳の一部が削られているかもわかりません。
鯨岡と言う名前は地名では残っていませんが、この場所の北東の近隣に「公事塚古墳群(くじつかこふんぐん)」という古墳群があったという。しかし、そこは砂利採取場として崩されてしまったという。
またこの橋門(はしかど)地名も気になりますね。入り江にでもなっていたのでしょうか。
さらに、直ぐとなりが「於下(おした)」と言う場所です。
ここでは於下貝塚があり、犬の骨がバラバラに見つかり話題にもなった場所のようです。
このようなことも少しまとめておけば当時の様子も見えてくるかもしれない。
とりあえず気付いた箇所の3箇所です。
行方郡
1) 郡の西に津済(わたり)あり。謂はゆる行方の海なり。海松、及塩を焼く藻生ふ。
凡て、海に在る雑の魚は、載するに勝ふべからず。
但、鯨鯢の如きは、未だ曾て見聞かず。
・・・・当時内海で海水が流れ込んでいた霞ヶ浦にはいろいろな魚類がいるがクジラはいなかった。
ただ、土浦などの貝塚ではクジラの骨が見つかっており食用にしていた時代も昔はあったと思われています。
この漢字の鯨鯢はそれぞれ単独でもクジラと読みますが、鯨は雄、鯢は雌のクジラを指すようです。
2) 男高の里あり。・・・・南に鯨岡有り。上古之時、海鯨、葡匐(はらば)ひて来り臥せりき。
鯨岡の地名由来として、「太古の昔に鯨が浜にはいつくばって死んでしまったことからその名前になった」と書かれています。
しかし、この鯨岡という地名は今近くにありません。そこで、この場所の候補地として言われているのが次の場所です。
このブログの後半でここを紹介します。
久慈郡
3) 郡より以南、近く小さき丘有り。体、鯨鯢に似たり。倭武の天皇、因りて久慈と名づけたまひき。
・・・確かに今でも鯨に似ていると言われれば、そんな岳は存在する。
茨城県内の地名にクジラと付くのは、現在の郵便番号簿では次の3箇所です。
勿論昔の字名などではたくさんあると思います。
・茨城県石岡市鯨岡 イバラキケンイシオカシクジラオカ
・茨城県下妻市鯨 イバラキケンシモツマシクジラ
・茨城県筑西市久地楽 イバラキケンチクセイシクジラ
さて、2番目に書いた行方郡の「鯨岡」ですが、国道355号線を石岡の方から霞ヶ浦に沿って南(東)下して、行方市に入り、玉造を過ぎ、男高に近い旧麻生町に近い「橋門(はしかど)」という場所にあります。
この国道沿いに小さな小山があり、その上に祠がおかれています。

案内版には「橋門の阿弥陀様」と書かれています。

この国道側から上に登る階段がありますが、上にある社の向きは右手を向いており、そこに手水舎らしきものもあります。

この右手側も広場となっていて、こんな感じですので、恐らくは昔はこちら側からお参りに上ったものだと思います。

阿弥陀様となっていますが、この社の中は写真のようないくつかの石の板碑などが置かれています。
説明板に書かれているようにこの板碑に阿弥陀像が彫られているのかもわかりません。
説明にもありますが、この小山はどうみても古墳ですね。

祠の建設時に古墳がけずられてしまっていますし、恐らく国道建設時にも古墳の一部が削られているかもわかりません。
鯨岡と言う名前は地名では残っていませんが、この場所の北東の近隣に「公事塚古墳群(くじつかこふんぐん)」という古墳群があったという。しかし、そこは砂利採取場として崩されてしまったという。
またこの橋門(はしかど)地名も気になりますね。入り江にでもなっていたのでしょうか。
さらに、直ぐとなりが「於下(おした)」と言う場所です。
ここでは於下貝塚があり、犬の骨がバラバラに見つかり話題にもなった場所のようです。
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