大矢橋(1) スマートインター
今「ことば座」の公演から帰ってきました。とても良かったです。
モダンバレーの柏木さんの舞いは本当に違いますね。足のつま先から手の先まで全て容になっています。
とても刺激になりました。文化を育てたいと・・・。
こちらの公演の内容は「風の会」のHPの方に今晩でも少し手を加えて良くしたいと思います。
オカリナの野口さんの作曲した「名は愛しきもの」とても人気です。また今度紹介させてください。
この常世の国から発信したいですね。
さて、話変わって、地域ネタの続きです。
昨日は、石岡から笠間へ行く国道355線(江戸道)について愛宕山への分かれ道の道標を紹介したが、この355線は、石岡から一旦小美玉市(旧美野里町羽鳥)を通って、また石岡市(東成井、真家)に入り、また岩間(愛宕山)の所からは笠間市になります。(石岡市→小美玉市→石岡市→笠間市)
一昨日に紹介した「五輪堂橋」と同じように少し入り組んでいます。(石岡市→かすみがうら市→石岡市)
さて、今日はこの石岡市から小美玉市に入るところの境界にできた高速道路のスマートインターチャンジを紹介しましょう。
この場所はとても興味のある場所なのです。この話はあすにまた書きます。
さて、この24時間乗り降りともできるスマートインターチェンジは、震災直後の3月24日にオープンとなりました。
震災の影響で大々的なセレモニーは控えられたのですが、無人とはいえ便利になったことは確かです。
インターの正式名称は「石岡小美玉スマートインターチェンジ」といいます。
4月末に仙台に行く時にこのインターを初めて利用しました。
通常の料金所のETCゲートと同じだと思って進むと「一旦停止」の文字が。
これはきいたことがあったので止まらなければいけないと、少しバーの手前で停止しました。
しかしバーが上がらない。車につけているカードの読み取りの電源が入っていないのかとも思ってスイッチを入れ直したがなんとも動かない。
もっと前に行かないと認識しないと思い、バーの直前まで進む。
すると、しばらくしてバーが上がった。初めてだとやはり少し戸惑う。少し早めに手前の方で停止してしまったようだ。
年寄りにはあまりなじみにくい。無人も良いけど少しトラブった時は不安である。
今回写真をとるためにインターまでまた行ってみた。
インターの入口の信号を曲がって(旧355線の石岡方面からは直進)進むと、高速の東京方面といわき方面に入口の道路がわかれており、いわき方面は直進で高速道路の下をくぐって向こう側に行きます。

そして道はインターの入口に向かうのだが、私はこのまま乗るのではなく引き返したいのだが困った。
そのまま入口に続いてしまう。Uターンできるほど広い幅の道ではない。
後ろから車が来るので手前で一旦停止して追い越してもらったが・・・・
そして良く見るとゲートの手前でう回路があることに気がついた。

そう、間違って侵入してしまった人やカードの有効期間が過ぎてしまったときの場合のために引き返すための迂回路が設けてありました。
でもバーの直前まで進んで、後ろに車がつながってしまったらバックしないと迂回路に戻れない。
その時はしょうがないのでバーを押してはいってもOKのようです。出口で係員に説明して出るしかないですね。
(インターフォンがあるので、係りに連絡して時間があれば来てもらえるようですが・・・)
なぜこの場所にインターができたのでしょうか。どうも二つの市にまたがっていることがいいようです。
柏原の工業団地にも近いし、茨城空港にも行きやすい。
しかし、今はインターの周りには何もない。水戸の方に「茨城町西」インター(北関東道)などは、インターと合わせて大規模な工業団地や住宅団地などを同時に建設している。
私はこの国の建設などの公共事業の拡大には疑問も持っているし、推進を唱える人たちの利権なども大いに疑問を持っている。
しかし、県や国の事業はほとんど紐付きで、一部を地方自治体で負担しなければならない事が多いと聞いている。
すると、金のない?石岡は何もやらなくなる。やれないのかもしれない。
でも、この市をどのようにしたいのかのビジョンが見えない。
雇用も大切です。これにより駅前も活性化する。外部からの通勤客や石岡への来訪者も増える。
小口製糸工場があった時には女工さんがたくさんいた。
駅前には喫茶店や映画館などがたくさんあった。
外部から資本を呼び込まなければ、歴史資産を守ることもできない。バランスが大切だと思っている。
「歴史では飯は食えない」という人がいる。
しかし「歴史を粗末にしては飯も食えない」ことも忘れてはならない。
このブログは単なる観光案内・歴史遺産の紹介にはとどめたくは無いと思っている。
表面だけをみているだけだと、そこの土地に染みついている昔の香りも風の流れも感じることはほとんど無い。
よろしければ、これからもお付き合いくださいね。
モダンバレーの柏木さんの舞いは本当に違いますね。足のつま先から手の先まで全て容になっています。
とても刺激になりました。文化を育てたいと・・・。
こちらの公演の内容は「風の会」のHPの方に今晩でも少し手を加えて良くしたいと思います。
オカリナの野口さんの作曲した「名は愛しきもの」とても人気です。また今度紹介させてください。
この常世の国から発信したいですね。
さて、話変わって、地域ネタの続きです。
昨日は、石岡から笠間へ行く国道355線(江戸道)について愛宕山への分かれ道の道標を紹介したが、この355線は、石岡から一旦小美玉市(旧美野里町羽鳥)を通って、また石岡市(東成井、真家)に入り、また岩間(愛宕山)の所からは笠間市になります。(石岡市→小美玉市→石岡市→笠間市)
一昨日に紹介した「五輪堂橋」と同じように少し入り組んでいます。(石岡市→かすみがうら市→石岡市)
さて、今日はこの石岡市から小美玉市に入るところの境界にできた高速道路のスマートインターチャンジを紹介しましょう。
この場所はとても興味のある場所なのです。この話はあすにまた書きます。
さて、この24時間乗り降りともできるスマートインターチェンジは、震災直後の3月24日にオープンとなりました。
震災の影響で大々的なセレモニーは控えられたのですが、無人とはいえ便利になったことは確かです。
インターの正式名称は「石岡小美玉スマートインターチェンジ」といいます。
4月末に仙台に行く時にこのインターを初めて利用しました。
通常の料金所のETCゲートと同じだと思って進むと「一旦停止」の文字が。
これはきいたことがあったので止まらなければいけないと、少しバーの手前で停止しました。
しかしバーが上がらない。車につけているカードの読み取りの電源が入っていないのかとも思ってスイッチを入れ直したがなんとも動かない。
もっと前に行かないと認識しないと思い、バーの直前まで進む。
すると、しばらくしてバーが上がった。初めてだとやはり少し戸惑う。少し早めに手前の方で停止してしまったようだ。
年寄りにはあまりなじみにくい。無人も良いけど少しトラブった時は不安である。
今回写真をとるためにインターまでまた行ってみた。
インターの入口の信号を曲がって(旧355線の石岡方面からは直進)進むと、高速の東京方面といわき方面に入口の道路がわかれており、いわき方面は直進で高速道路の下をくぐって向こう側に行きます。

そして道はインターの入口に向かうのだが、私はこのまま乗るのではなく引き返したいのだが困った。
そのまま入口に続いてしまう。Uターンできるほど広い幅の道ではない。
後ろから車が来るので手前で一旦停止して追い越してもらったが・・・・
そして良く見るとゲートの手前でう回路があることに気がついた。

そう、間違って侵入してしまった人やカードの有効期間が過ぎてしまったときの場合のために引き返すための迂回路が設けてありました。
でもバーの直前まで進んで、後ろに車がつながってしまったらバックしないと迂回路に戻れない。
その時はしょうがないのでバーを押してはいってもOKのようです。出口で係員に説明して出るしかないですね。
(インターフォンがあるので、係りに連絡して時間があれば来てもらえるようですが・・・)
なぜこの場所にインターができたのでしょうか。どうも二つの市にまたがっていることがいいようです。
柏原の工業団地にも近いし、茨城空港にも行きやすい。
しかし、今はインターの周りには何もない。水戸の方に「茨城町西」インター(北関東道)などは、インターと合わせて大規模な工業団地や住宅団地などを同時に建設している。
私はこの国の建設などの公共事業の拡大には疑問も持っているし、推進を唱える人たちの利権なども大いに疑問を持っている。
しかし、県や国の事業はほとんど紐付きで、一部を地方自治体で負担しなければならない事が多いと聞いている。
すると、金のない?石岡は何もやらなくなる。やれないのかもしれない。
でも、この市をどのようにしたいのかのビジョンが見えない。
雇用も大切です。これにより駅前も活性化する。外部からの通勤客や石岡への来訪者も増える。
小口製糸工場があった時には女工さんがたくさんいた。
駅前には喫茶店や映画館などがたくさんあった。
外部から資本を呼び込まなければ、歴史資産を守ることもできない。バランスが大切だと思っている。
「歴史では飯は食えない」という人がいる。
しかし「歴史を粗末にしては飯も食えない」ことも忘れてはならない。
このブログは単なる観光案内・歴史遺産の紹介にはとどめたくは無いと思っている。
表面だけをみているだけだと、そこの土地に染みついている昔の香りも風の流れも感じることはほとんど無い。
よろしければ、これからもお付き合いくださいね。
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