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鴨の宮を探して(2)

 元あったという鴨の宮は江戸時代末期に存在した玉造郷校の跡地から東に250mくらいの場所にあると聞いていたので、まずは江戸時代に水戸藩の大山守をしていたという県指定有形文化財となっている「大塲(おおば)家住宅」へ。

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なかなか手入れも行き届いていて梅の花もきれいに咲いていた。
見学は申し込みが必要なのか? 門は開いてない。

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この大塲家の裏山に戦国時代末期まで玉造城があり、城は1591年に佐竹氏により滅ぼされたが、江戸の末期に玉造郷校が建てられた。
この大塲家住宅の右横の細い道が裏山に続いている。

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道を少し上った所に玉造郷校跡の説明看板が置かれていた。

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そしてこの看板から右手に上に上る道があり、この上に郷校があった。
以前ここを登って上の看板を見ているので今回はそのまま車で先へ。

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すると少し開けて、そこに今度は玉造城跡の看板があった。
前に「常陸国の源平合戦」などとしてまとめてもいるが、1591年の佐竹氏による南方三十三館主の誘殺と書かれているが、玉造氏親子は佐竹氏の呼び出しに応じて常陸太田へ出かけたが、そこから日立市南部の大久保城へ連れて行かれ、そこで殺された。
佐竹家臣の大久保氏は行方氏とは親戚関係だった。

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この土塁の上に昔城があった。

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道はぐるっと廻ってこの山の上に出られる。
町側は崖となり、一部フェンスなどでガードがされている。

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鴨も宮があったのはここから東に250mくらいだというが、・・・

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数十mくらい行った場所に一つ名もない神社があるが、どのような神社かはわからない。
そのままこの先を100mほど行って見たが、家や畑はあるがそれらしきところには道が続いていない。

この日は他の場所の散策もあり、探すのをあきらめてそこを後にした。

後日、場所を探すために鹿島鉄道がどのように通っていたのか地図で確かめてみる事にした。

(次回に続きます)


常陸国風土記と共に | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/03/11 05:42
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