鴨の宮を探して(3)
前にもここで鴨の宮調査は終ってしまっているので、今回はもう一度チャレンジと言うわけで、GOOGL地図を広げた。
するとそこには「鴨之宮神社」なる場所が地図に載っていた。
最近のGOOGLE地図は誰かがこうして登録してくれたりする。
以前、私が銚子で「天狗湯」探しを下記事を書いたが、その後この場所がGOOGLE地図に書き込まれていた。
私は登録した覚えも無いので誰かが登録しているのだろう。
さて、地図には載っていたが、探すという作業は意外と楽しいもので、いろいろな別の知識も与えてくれる場合もある。
そこで、この航空写真の地図に、旧鹿島鉄道の線路らしきところを辿ってみた。

上の赤い線のところが、旧鹿島鉄道の線路が走っていた場所と思われる。
旧玉造駅は鉄道廃止後に以前行ったことがあり、ぼんやりとしたイメージはあった。
玉造の先は、榎本駅だと思っていたが、このGoogle Map には上記の地図の右端部に「坂本駅跡」のマークがあった。
調べてみるとこの坂本駅は1957年に廃止された駅だという。
初めて知ったが、こんなものも一つの発見になる。
昨日書いた大塲家住宅の前の道をそのまま東方面に進むと、この鹿島鉄道の下を道路が通っている。
即ち道路の上を鉄道が通っていて、この鉄橋が壊されずに残っていた。

脇からこの旧線路があった所まで登れるようなので、登ってみた。
梅の花が先、大きなイチョウの木がそびえその下は銀杏の実が地面にびっしり積もっていた。

少し銀杏の実を踏みつけて、そのにおいを気にしたが、上に登ってみた。

西側の旧玉造郷校(玉造城)方面は、こんな感じ。鴨の宮がこの線路で邪魔になり移転となったというのは昭和2年(1927)。
このまま進むには藪がきつすぎる。

反対側も比較的きれいではあるが、鉄橋なので危ない。
そのまま下へ降りた。
下の通りを、大塲家方面に戻り、地図の鴨之宮神社の下辺りと思われる所に玉造郷土研究会が掲げた看板が置かれていた。

この処に車を置いて、そのまま上に続く道を上った。

道は山に入って行く。

そのまま歩数で100~150歩程度でここの家の墓所に出た。

代々続くこの方(関口家)の墓所のようだが、その一角にこの「鴨之宮跡」の石碑とヤマトタケルの像などが置かれていた。


この石祠には菊の御紋と「鴨之宮神社」と彫られていた。

ここでは、今の加茂にある「鴨の宮」は分霊されたものだということのようです。
今もこの地は「鴨の宮」というようです。

「鴨の宮を探して(1)(2)(3)」終わり
するとそこには「鴨之宮神社」なる場所が地図に載っていた。
最近のGOOGLE地図は誰かがこうして登録してくれたりする。
以前、私が銚子で「天狗湯」探しを下記事を書いたが、その後この場所がGOOGLE地図に書き込まれていた。
私は登録した覚えも無いので誰かが登録しているのだろう。
さて、地図には載っていたが、探すという作業は意外と楽しいもので、いろいろな別の知識も与えてくれる場合もある。
そこで、この航空写真の地図に、旧鹿島鉄道の線路らしきところを辿ってみた。

上の赤い線のところが、旧鹿島鉄道の線路が走っていた場所と思われる。
旧玉造駅は鉄道廃止後に以前行ったことがあり、ぼんやりとしたイメージはあった。
玉造の先は、榎本駅だと思っていたが、このGoogle Map には上記の地図の右端部に「坂本駅跡」のマークがあった。
調べてみるとこの坂本駅は1957年に廃止された駅だという。
初めて知ったが、こんなものも一つの発見になる。
昨日書いた大塲家住宅の前の道をそのまま東方面に進むと、この鹿島鉄道の下を道路が通っている。
即ち道路の上を鉄道が通っていて、この鉄橋が壊されずに残っていた。

脇からこの旧線路があった所まで登れるようなので、登ってみた。
梅の花が先、大きなイチョウの木がそびえその下は銀杏の実が地面にびっしり積もっていた。

少し銀杏の実を踏みつけて、そのにおいを気にしたが、上に登ってみた。

西側の旧玉造郷校(玉造城)方面は、こんな感じ。鴨の宮がこの線路で邪魔になり移転となったというのは昭和2年(1927)。
このまま進むには藪がきつすぎる。

反対側も比較的きれいではあるが、鉄橋なので危ない。
そのまま下へ降りた。
下の通りを、大塲家方面に戻り、地図の鴨之宮神社の下辺りと思われる所に玉造郷土研究会が掲げた看板が置かれていた。

この処に車を置いて、そのまま上に続く道を上った。

道は山に入って行く。

そのまま歩数で100~150歩程度でここの家の墓所に出た。

代々続くこの方(関口家)の墓所のようだが、その一角にこの「鴨之宮跡」の石碑とヤマトタケルの像などが置かれていた。


この石祠には菊の御紋と「鴨之宮神社」と彫られていた。

ここでは、今の加茂にある「鴨の宮」は分霊されたものだということのようです。
今もこの地は「鴨の宮」というようです。

「鴨の宮を探して(1)(2)(3)」終わり
コメント