潮来稲荷山
麻生から東に進むと「潮来」地区になる。
ここは市街地のすぐ裏手を国道51号線が通っているが、この高台に「稲荷山公園」がある。
暫く訪れていなかったので、様子を見に山側の国道側から公園に入った。

国道沿いに公園の入り口がある。

中を右に進むと、市街地から稲荷神社への上り階段がある。


ここから潮来の町をこのように見下ろすことが出来る。

これが稲荷神社。

公園の桜はもうすっかり葉桜となっていた。

この稲荷神社もすっかり潮来の町のシンボルとなっているが、歴史を辿れば江戸時代前期に麓の古刹「長勝寺」境内に設置され、それをこの山野上に分離して祀ったようだ。

この神社の脇に「潮来町立女子技芸学校があったという碑が立てられている。
女子技芸学校は1906年から1938年までこの地にあり、その後、潮来町出口へ移転して、県立高等女学校を経由して現在の県立潮来高校となった。

そしてその隣に「茨城百景」の碑。

さらにその横には大きな石の石碑が置かれている。
ここには野口雨情の「船頭小唄」の詩が彫られている。
作曲は中山晋平。
まだ奥にもいろいろある。
菊池 寛実に碑も置かれている。
私が最初に来たときに「菊池寛」とつながりの有る人物かと思いこんだが、これは違って、「菊池 寛実」は日本の石炭王と呼ばれた大実業家である。 潮来とも船運事業で繋がっていたようだ。
ここは市街地のすぐ裏手を国道51号線が通っているが、この高台に「稲荷山公園」がある。
暫く訪れていなかったので、様子を見に山側の国道側から公園に入った。

国道沿いに公園の入り口がある。

中を右に進むと、市街地から稲荷神社への上り階段がある。


ここから潮来の町をこのように見下ろすことが出来る。

これが稲荷神社。

公園の桜はもうすっかり葉桜となっていた。

この稲荷神社もすっかり潮来の町のシンボルとなっているが、歴史を辿れば江戸時代前期に麓の古刹「長勝寺」境内に設置され、それをこの山野上に分離して祀ったようだ。

この神社の脇に「潮来町立女子技芸学校があったという碑が立てられている。
女子技芸学校は1906年から1938年までこの地にあり、その後、潮来町出口へ移転して、県立高等女学校を経由して現在の県立潮来高校となった。

そしてその隣に「茨城百景」の碑。

さらにその横には大きな石の石碑が置かれている。
ここには野口雨情の「船頭小唄」の詩が彫られている。
作曲は中山晋平。
まだ奥にもいろいろある。
菊池 寛実に碑も置かれている。
私が最初に来たときに「菊池寛」とつながりの有る人物かと思いこんだが、これは違って、「菊池 寛実」は日本の石炭王と呼ばれた大実業家である。 潮来とも船運事業で繋がっていたようだ。
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