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水戸愛宕山古墳と愛宕神社

 常陸国風土記では潮来に攻め入ったタケカシマは那珂川(粟川)をさかのぼりこの地を治めた。
そして最初の那賀国の国造(くにのみやっこ)となったと云われている。
そして、タケカシマの墓がこの(水戸)愛宕山古墳ではないかと・・・。

台渡里廃寺跡から比較的近いこの愛宕町にやって来ました。
紫陽花で有名な保和苑なども近くにありますが、愛宕神社周りの道は狭く、一方通行も多く少し奥まった場所にあります。

神社の社務所があるところは古墳の直ぐ下で、広めの駐車場がありましたので、そこに車を停めて神社参拝に・・・。

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最初、神社と古墳は分かれており、神社の裏山が古墳かと思っていたのですが、古墳の上に神社は建てられていました。
前方後円墳の後円の真ん中にどっしりとした社殿が建てられていました。

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鳥居をくぐりそのまま、愛宕神社へ続く石段を上って行きます。

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古墳の大きさは全長136.5mで、石岡の舟塚山古墳は約186mを一回り小さくした大きさだが、かなり大きく感じる。
築造されたのは6世紀初頭と推定されるそうだ。
ただ、これも舟塚山古墳が今では5世紀後半などといわれているが、これも昔はもう少し後ではないかとも云われていたと思う。

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神社へはこの正面の石段以外にも脇から上る石段や、前方側の先部からのぼる道もあった。

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拝殿の裏の本殿。木鼻部の彫刻も面白い。

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これは神社のある後円部から前方側を見下したところ。

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この愛宕神社の創建に付いては少し面白いことが書かれている。
国香が京都の愛宕神社から分霊をいただき、常陸国府(現石岡)に愛宕神社を設けたのが始まりだとか・・・
現在石岡のこの愛宕神社に相当する神社は存在しないと思う。
江戸時代に村田宗衛門屋敷近くにあった愛宕神社は、木之地町に移されているので、この神社を指すのかもしれない。

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神社拝殿に飾られた扁額もじっくり見たらきっと面白いのだろう。
まあ時間もないので神社周りを一回りしてみた。
たくさんの境内社の社がならんでおり、ぐるりと社殿全体を取り囲んでいた。

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こちらが拝殿正面。

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後円部から前方部へ下りて先に進むと、左手に「天満宮」の社が置かれていた。

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この天満宮から後ろを振り返ると、この参道の先の少し上った所に「愛宕神社」が見える。

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そして前方の先端部に「茨城百景」の石板が建てられています。
百景のタイトルは「愛宕山とさらし井」です。

さらし井についてはこの後に書きます。



常陸国風土記と共に | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/04/26 05:36
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