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平津の駅家(うまや)と大串貝塚(その2)

 常陸国風土記の那賀郡に書かれている大男(ダイダラボッチ)の話し。
当時はまだ貝塚などといった知識もなく、今から1300年以上も前にこの貝塚の話しが書かれたのは日本では最古といわれるけれど、世界でもかなり古いものかもしれない。

当然大量の貝殻が積もって岡をなしていたのを、大男(ダイダラ坊)に話と結びつけて語られた。
今では貝塚などは珍しくも無く、各地に見つかっているが、少し前までは、大昔に貝を食べてそれを棄てた場所という解釈が定着されていたが、最近はどうもそれでは不自然だということで、貝を食料として生産したり、塩をとって(藻塩)流通させていた工場のような場所だったのではないかという考え方が一般的になってきた。

ここ大串貝塚も貝殻の層は丘の崖面などで最初は見つかっており、縄文時代に気水湖に生息するヤマトシジミなどの貝殻が大量に積み重なっている。今は涸沼も少し小さくなり、この大串の岡からはすこし距離があるが、古代は那珂川河口と涸沼は大きな湖のようにつながっていて、海水も流れ込んでいた。

今も涸沼ではシジミが大量に取れ、大きなこのシジミが名物ともなっているので、霞ヶ浦と違って気水湖は維持されているようだ。

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現在この岡の上には大きな巨人(ダイダラ坊)の像が設置されて、大串貝塚公園として市民の憩いの場にもなっている。
また、公園の隣は常澄中学校が隣接している。

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訪れた日は平日であり、小さなお子さんを連れたお母さん達が何組か芝生でゆったり遊んだりしているのが印象的でした。

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ダイダラ坊の巨大像の下は資料室にもなっていて、日本各地に伝わる巨人伝説の一覧地図があります。

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九州などで有名な百合若大臣なども山口などで巨人伝説にも広がりを見せているのですね。

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この公園の中に、「(水戸市役所)埋蔵文化財センター」という建物があります。

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ここ大串貝塚(国指定史跡)関連の埋蔵文化財を中心に職員が常駐して開放展示がされていました。

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訪れたのは夕方に近かったせいもありますが、見学者は私一人でした。
でもこのような施設に力を注いでいる市町村は大切ですね。
「文化や歴史、そんなもの作っても飯は食えない」などと未だに云っている市町村もあるのでしょうが、文化や歴史を大切に後世につないでいくということはとても大切なことです。

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ダイダラ坊の像の裏手から中学校の脇を通って下へ続いている道があります。

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公園は岡の上で、少し下っていくと木々の間から下の田畑などが見えます。

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そして、この下ったところからもどるような崖の位置に貝塚標本の建屋があります。

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この資料室を見学するには事前に申し込んで扉の鍵を開けてもらわなければなりませんが、建物は外から内部が見えるようになってます。
上の写真のようにこの地層断面に貝殻が積み重なっていることがわかるようになっています。

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貝塚は結構この展示方法は何処も苦労しているようですね。
以前見学した土浦の高津貝塚などの展示はわかりやすくて良いと思いました。

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丘の下へ降りた斜面には「国指定大串貝塚」の石碑が置かれています。

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更に数百メートル進むと一つの神社があります。
「折居神社」「折居台明神」などといい、鹿島神宮の祭神である「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」が祀られています。


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周りの木々はかなり古い古木が生い茂り、ちょっとした樹叢となっています。

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そのまま参道を進むと表の通りに出ました。
入口の鳥居には「村社」の文字が書かれています。

この正面入口は車通りに面していますが、この通りの反対側に「折井の泉」という碑があります。
本とはこの泉跡を見学する予定でしたが、通りの向こう側だと気がつかず、引き返してしまいました。

江戸時代頃まではこの泉はコンコンと清らかな水が湧き出していたようですが、現在は枯れてしまっているようです。
泉の場所には「無量水」とかかれた石碑が置かれています。
この名は徳川斉昭公が、尽きることなく湧き出す泉という意味で、命名したものだといいます。

ここは常陸国風土記に書かれている平津の駅家はこの泉に近い場所にあったのではないかなどという思がやはりしますね。
馬を置くには清らかな清水が必要ですから。

常陸国風土記と共に | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/04/30 11:41
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