fc2ブログ

石岡の醤油産業は何故廃れたのか?(1)

 今日は朝から雨で、肌寒く、暑かった夏が嘘のような気温だ。
昨日「まつり会館」などと書いてみたが、よく考えれば箱モノはあまり感心しないという気もしてきた。
しかし、祭りや歴史などをもっとキチンと説明している場所は欲しいと思っている。
水戸の歴史館や美術館はとてもうらやましい。笠間もしかりだ。
石岡の郷土資料館や風土記の丘の資料館はとても見劣りする。
これも文化に対する意識の低さがなせる仕業であろうから、何をか言わんやである。
石岡の歴史を少しかじっているが、何故醤油産業は廃れてしまったのかが不思議である。
銚子や野田はまだしも、隣りの土浦には残っているのに・・・・。
少しずつ調べてみたいと思う。
まずは、正岡子規が明治22年4月に友人と水戸まで旅行に出かけた途中石岡に泊まった時の「水戸紀行」の文を参考に載せてみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筑波へ行く道は左へ曲れと石の立ちたるを見過して筑波へは行かず草臥ながらも中貫、稻吉を經て感心にも石岡迄辿りつき萬屋に宿を定む
石岡は醤油の名處也
萬屋は石岡中の第一等の旅店也
さまて美しくはあらねどもてなしも厚き故藤代にくらぶれば數段上と覺えたり
足を伸ばしたりかゞめたりしながら枕の底へいたづら書なとす
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治22年には醤油の産地として認知されていたのがわかります。
石岡に鉄道が通ったのは明治28年になってからです。(水戸線は開通していた)
さてその頃の石岡はどんな様子だったのでしょうか。
大きなレンガの煙突が何本もそびえていたようです。想像がつきません。
もちろん醤油のみではなく、酒造も盛んであった。
子規の泊まった「萬屋」も今はなく、市には看板くらい立ててくれるように言っているが未だにそのままだ。
何か本当に寂しくなってくる。
現在、高浜にはこの醤油工場の煙突などが残っています。
P1010001s.jpg
高浜の醤油工場の跡
P1010003s.jpg
高浜の醤油工場の煙突跡
これらは街中に無造作に残されているだけであり、保存しなければそのうちなくなりそうだ。
高浜も駅前などにお店などがなく、このような所を見る機会も少ないので、どれだけの人が気にかけているのだろうか。
少し長くなりそうなので、続きはまた後にしよう。

醤油産業 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/09/16 19:38
コメント

管理者のみに表示