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道標 追分(2)

 石岡の町中に残された追分としてよく紹介されているものがあります。
場所は若松町の信号の真中に△エリアを設けて置かれています。

oiwake06.jpg

この正面のガソリンスタンドは今はありません。現在はマンションが立てられています(今年)。

oiwake05.jpg 元文二年 巳四月日 (1737年)


「左かきおか まかべみち」「右 うつの宮かわらい道」

左は柿岡街道です。今も真壁に行けます。右は瓦会を通って宇都宮へ行く「宇都宮街道」です。
しかし、この宇都宮街道はこの先鹿の子遺跡の場所で常磐高速で遮断され、その先は矢向へ行きますが、柏原工業団地で途切れてしまいます。
もう少し、この人馬が通った「宇都宮街道」の検証をしてほしいものです。
この道標の制作年は元文二年となっていますので。徳川将軍「吉宗」の時代です。

当時のこの街道はどのようになっていたのでしょう。真壁、宇都宮からの道がここ府中(石岡)に入るために合流していたのです。

当時は府中の街はこの場所が北西方面からの人馬の入口でした。若松町も長法寺町と言っていた頃にはここまでが街で、この先は府中松平藩の武家屋敷などがこの先柏原池近くまでの領域にまとまっていました。


しかし、宇都宮街道などは時代とともにルートがわからなくなってきてしまっているおり、この追分道標がとても貴重なものとなっています。
大切にしていきたいですね。

普通でしたらこのくらいで、この若松町の追分の話も終わりです。
石岡の歴史案内書も他のブログも、これくらいしか書かれていません。
しかし、この追分がとても重要なような気がしています。
これは市の関係者には理解されていないかもわかりません。
明日は、この追分についてもう少し調べた内容を書いてみたいと思います。 


 

道標 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/08 19:12
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