常陸国風土記の世界<行方郡>(4)
⑥ 曾尼(そね)の駅家(うまや)跡
次に述べる「角のある蛇・夜刀の神」が祀られている「椎井の池」の近くを国府から鹿島神宮へ向かう陸路の官道があったといい、この池の近くに「曾尼の駅家」が設けられていたという。
しかし、この道がこの池の北側なのか南側なのか良くわかっていない。


現在池の東側を走る県道50号線に近いあたり(国道354と50号の泉北交差点より潮来・鹿島方面に700mほどいったあたりの旧泉区内に地元有志による「曾尼の駅家の跡」という看板が建てられています。
この曽尼(そね)の名前の由来については確かに風土記の記述では「疏禰毘古」という佐伯の名前から付けられたと書かれています。
佐伯というのは当時大和朝廷に逆らった現地人のことであると一般にはいわれています。
ただ、「ソネ」については、中心都市の隣の部落などにつけられていたのではないかとの指摘もあります。
古代東海道の常陸国国府府中(現石岡)の一つ手前の駅家(うまや)の名前は延喜式に記載があり「曽弥(そね)」となっています。
ただ鹿島と国府を結ぶ陸路は船路が発達して次第に使われなくなり、この曾尼及び板来の駅家(うまや)は西暦810年頃に廃止となったと思われます。
⑦ 椎井の池と夜刀神社
風土記の記載内容でもっとも特異な表現がされている「頭に角がある蛇=夜刀神(やつのかみ)」が祀られている場所に行ってみました。
ここには椎が生い茂っている井戸のある場所だという。この場所を当時、蛇神の住む地と人間の暮らす場所との境としたといわれるところだったという。
現在、今でもぶくぶくと水の噴出す泉とその上の山に「愛宕神社」と「夜刀神社」が置かれている。風土記の記述によると、この角のある蛇を振り返ってみるとその家は滅びてしまうという。蛇神信仰としても興味深い話である。
この池には泉地区の浄水場から右に降りていく道があり、案内版も確りしているので問題はない。


この湧水のある池の横に椎の木があって、ここに蛇が群がっていたのだろうか?
この場所は完全に谷津(やつ)と言って良いだろう。谷津が夜刀(やつ、やと)となったものだろう。ただ現地の看板では「夜刀神=やとのかみ」と読ませている。
イメージ的には「やと」ではなく「やつ」の方がすっきりくる。しかし、夜刀神はもともとこの地にいた原住民のことではないかとする解釈もあるという。
そしてこの池の端の方で地下から絶えず水がわきだしている。
ここに社を建てこの裏山が夜刀(蛇)の神の場所で、ここから南は人間たちが住む場所と蛇を祀り、人々が生活する場所を区別したという。このような蛇神信仰はどのようなことから生まれてきたのでしょうか。三輪山神話の話が広がっていたのでしょうが、蛇というものは日本もギリシャもユダヤ・キリスト教もそれほど変わらないのでしょうか。
この椎井の池のわきには駐車場があります。また池の反対側の丘の上は住宅が広がり、そちら側からも神社の入口鳥居が置かれています。


住宅地側の鳥居です。
ここから下に椎井の池があります。
この鳥居の脇には道祖神が置かれ、何かただならぬ場所という印象を受けます。
池の脇から今度は神社まで上りです。
このようにいったん下って上ると谷津のイメージは強く感じます。


椎井の池の横の石段を上ると上に「愛宕神社」の拝殿が見えてきます。正面に神社の拝殿。そしてその右奥に「夜刀神社」と書かれた神社が置かれています。
(その5に続く)
<行方郡>最初から ⇒ こちら
次に述べる「角のある蛇・夜刀の神」が祀られている「椎井の池」の近くを国府から鹿島神宮へ向かう陸路の官道があったといい、この池の近くに「曾尼の駅家」が設けられていたという。
しかし、この道がこの池の北側なのか南側なのか良くわかっていない。


現在池の東側を走る県道50号線に近いあたり(国道354と50号の泉北交差点より潮来・鹿島方面に700mほどいったあたりの旧泉区内に地元有志による「曾尼の駅家の跡」という看板が建てられています。
この曽尼(そね)の名前の由来については確かに風土記の記述では「疏禰毘古」という佐伯の名前から付けられたと書かれています。
佐伯というのは当時大和朝廷に逆らった現地人のことであると一般にはいわれています。
ただ、「ソネ」については、中心都市の隣の部落などにつけられていたのではないかとの指摘もあります。
古代東海道の常陸国国府府中(現石岡)の一つ手前の駅家(うまや)の名前は延喜式に記載があり「曽弥(そね)」となっています。
ただ鹿島と国府を結ぶ陸路は船路が発達して次第に使われなくなり、この曾尼及び板来の駅家(うまや)は西暦810年頃に廃止となったと思われます。
⑦ 椎井の池と夜刀神社
風土記の記載内容でもっとも特異な表現がされている「頭に角がある蛇=夜刀神(やつのかみ)」が祀られている場所に行ってみました。
ここには椎が生い茂っている井戸のある場所だという。この場所を当時、蛇神の住む地と人間の暮らす場所との境としたといわれるところだったという。
現在、今でもぶくぶくと水の噴出す泉とその上の山に「愛宕神社」と「夜刀神社」が置かれている。風土記の記述によると、この角のある蛇を振り返ってみるとその家は滅びてしまうという。蛇神信仰としても興味深い話である。
この池には泉地区の浄水場から右に降りていく道があり、案内版も確りしているので問題はない。


この湧水のある池の横に椎の木があって、ここに蛇が群がっていたのだろうか?
この場所は完全に谷津(やつ)と言って良いだろう。谷津が夜刀(やつ、やと)となったものだろう。ただ現地の看板では「夜刀神=やとのかみ」と読ませている。
イメージ的には「やと」ではなく「やつ」の方がすっきりくる。しかし、夜刀神はもともとこの地にいた原住民のことではないかとする解釈もあるという。
そしてこの池の端の方で地下から絶えず水がわきだしている。
ここに社を建てこの裏山が夜刀(蛇)の神の場所で、ここから南は人間たちが住む場所と蛇を祀り、人々が生活する場所を区別したという。このような蛇神信仰はどのようなことから生まれてきたのでしょうか。三輪山神話の話が広がっていたのでしょうが、蛇というものは日本もギリシャもユダヤ・キリスト教もそれほど変わらないのでしょうか。
この椎井の池のわきには駐車場があります。また池の反対側の丘の上は住宅が広がり、そちら側からも神社の入口鳥居が置かれています。


住宅地側の鳥居です。
ここから下に椎井の池があります。
この鳥居の脇には道祖神が置かれ、何かただならぬ場所という印象を受けます。
池の脇から今度は神社まで上りです。
このようにいったん下って上ると谷津のイメージは強く感じます。


椎井の池の横の石段を上ると上に「愛宕神社」の拝殿が見えてきます。正面に神社の拝殿。そしてその右奥に「夜刀神社」と書かれた神社が置かれています。
(その5に続く)
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