常陸国風土記の世界<行方郡> 付録(4)
現原の丘、玉清の井、井上神社から見える風景

1,風土記の頃ここはどんな景色が広がっていたのか?
今はゴルフ場で霞ケ浦まで見渡せないが・・・・倭武(ヤマトタケル)の天皇はこの丘に登って御膳を供し、四方を眺めて、山々のひだや海辺のひだが重なって連なり「行細(なめくわし)の国」と呼ぶべきだといわれた。これが行方となった。と書かれてはいるが・・・。
2, 風土記では、ヤマトタケルはこの前に「槻野の清水」(玉清井)に行ったことが書かれている。
何故、行方の名前の由来を書く文脈の前にこの井戸の事を書いたのか?
「槻(つき)」は欅(けやき)の古名であるので、槻野の清水は欅の木のある野であり、名前も行方の名前も縄文語で「冷たい清水のほとり」=井上の意味ともいう。

玉清の井(槻野の清水?というものからは、かなりイメージは遠い?)

井上神社 (なぜここに昔、山幸彦:彦火火出見尊が祀られていたのか?)
やはり、海幸彦・山幸彦神話をこの地にあてはめたら何かが見えるのかもしれない。

1,風土記の頃ここはどんな景色が広がっていたのか?
今はゴルフ場で霞ケ浦まで見渡せないが・・・・倭武(ヤマトタケル)の天皇はこの丘に登って御膳を供し、四方を眺めて、山々のひだや海辺のひだが重なって連なり「行細(なめくわし)の国」と呼ぶべきだといわれた。これが行方となった。と書かれてはいるが・・・。
2, 風土記では、ヤマトタケルはこの前に「槻野の清水」(玉清井)に行ったことが書かれている。
何故、行方の名前の由来を書く文脈の前にこの井戸の事を書いたのか?
「槻(つき)」は欅(けやき)の古名であるので、槻野の清水は欅の木のある野であり、名前も行方の名前も縄文語で「冷たい清水のほとり」=井上の意味ともいう。

玉清の井(槻野の清水?というものからは、かなりイメージは遠い?)

井上神社 (なぜここに昔、山幸彦:彦火火出見尊が祀られていたのか?)
やはり、海幸彦・山幸彦神話をこの地にあてはめたら何かが見えるのかもしれない。
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