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懐かしさも中くらいなり我がふるさと

 私は、団塊の世代真っただ中に生まれた。
生まれは新潟県だがすぐに横浜に越して、小学校に入った。
そして2年生からは東京郊外の都営住宅に大学初めまでいた。

その頃は皆同じような暮らしをしている人も多く、そこから努力もみな同じ。
私の周りは似たような家族に囲まれていたように思う。

家を持つことはまた夢のようであったのだろう。
両親の苦労もまた計り知れない。

お盆で両親の墓のある東京郊外の多摩湖に近い墓に、私の子供たち家族と集まって食事をした。
お墓は所沢市だが、東京都に隣接している。
子供たちはそのあとに西武園遊園地で遊んで楽しめたようだ。

私は遊園地をパスして、昔育った場所を訪れた。
もう何年ぶりだろうか?

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昔、ここには都営の2軒長屋式の住宅が並んでいた。
我が家がここを出たのは私が大学生の時。
すでに建て替えの話が出ていて、高層住宅に移るか、新たな場所へ家を求めるかで選択を迫られていた。

そして私たち家族は武蔵小金井に新たに家建て住むことになった。

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このあたり一帯が東京都の管理で、都営の住宅が今も並んでいる。

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そう。ここが私の卒業した小学校だ。
わたしはこの学校の第1回卒業生だ。
小学校2年生からこの地に越してきたが、小学校が近くになく隣駅の小学校に歩いて通った。

5年生からこちらの家からすぐの小学校に行くようになったが、その時はまだ6年生はおらず、私たちが初めての6年生になった。
なにしろ子供たちの数がものすごく多くいて、既設の学校で、少しくらいクラスを増やしたくらいではやりくりできない数だった。
1クラスの人数も増え、新しい学校も建設して、今の学校の統廃合とは全く真逆の状態であった。

昔の同じクラスの友達たちは今どうしているだろうか?
中学、高校などが全く離れてしまったので、年賀状などのやり取りもあまりなくなってしまった。

狭苦しい路地道を車で走らせ、昔ここに何があったとかを思い出、また一部昔からある幼稚園などや公園なども思い出しながらなつかしさに思いをはせたが・・・・
まあ、「なつかしさも中くらいなり我がふるさと」かも知れない。

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小学校の頃はこの校庭で野球もやった。
地区対抗の試合などもあった。
夏休みには映画会などもあったように思う。

学校近くの雑木林ではカブトムシ採りなどもよくやっていた。
秋は自然林の栗がいっぱいなった。

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この校庭わきの道を行くと正面は西武新宿線の線路で、その先に都営小平霊園がある。
霊園は林も多くて夏休みの子供の虫取りには最高な場所だったが、今はどうなっているだろうか?

まあ、当時(60年以上前)から比べると、武蔵野の雑木林もだいぶ少なくなっている。

子供のころ | コメント(2) | トラックバック(0) | 2023/08/20 11:07
コメント
No title
一昨年から父の墓参りで小平霊園に通っています。子供の頃のことはよく覚えていませんが、園内の木々はどれも背が高く、さいかち窪は今でも鬱蒼としているようです。
門前(?)に居並ぶ墓石屋さん達も健在で、昭和の風情を少し感じます。
michikusa520さん
 コメントありがとうございます。
小平霊園入り口の方も先日通りましたが、あまり昔と変わらない印象を持ちました。
霊園そのものはできた当時とはかなり変わってきていて、結構明るい雰囲気ですね。
「さいかち窪」は私はよく知らないのですが、霊園の東端にあるようですね。
私のいた萩山小学校は霊園の西端部で、当時はまだ雑木林がまた結構残っていました。
またこの西側には霊園から続く林があり、栗の木などが茂っていました。
今地図で見ると、この雑木林などがあったあたりに、新しい小学校や住宅が広がっています。
もう65年ほど前ですので、すっかり変わったかとも思ったのですが、まだ道路も狭いままのところが多く、面影は結構残っていました。
すっかり忘れていたかとも思っていたのですが、変わらなところもありましたね。
でも生活の基盤はもうここにはないし、友達もほとんどここには残っていないので、なつかしさも中くらいなのかもしれませんね。

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