紫金草(しきんそう)

 前に花ダイコン(オオアラセイトウ)の花を紹介しました。
すると、この花ダイコンを広めたのは石岡の灰吹屋さんのご主人だそうですとの話をうかがった。

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創業慶安元年(1648年)

はて、このオオアラセイトウは江戸時代に日本に入ってきたと聞いたのだが、こちらは昭和の話。
そこで、調べて色々なことがわかってきた。興味のある方はご自身で調べられたら良いと思いますが、調べたことを少しだけ紹介したい。

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日中戦争の南京での大虐殺といわれる事件の数か月後(1939年)に、旧日本陸軍衛生材料廠の廠長山口誠太郎さんが現地を視察で訪れました。
山口さんは昔学生(東京帝国大学)時代に、中国人留学生と南京に来たことがあり知っていたのですが、戦争により大きく変わってしまったことに大変驚いたといいます。
そして南京郊外にたくさん咲いていた紫の花の美しさに感動し、この種子をそっと持ち帰ったのです。
そして、日本で育て「紫金草(しきんそう)」(南京の紫金山の名前をとった)と名前をつけ、育てて増やした種子を知人や近隣の人に分けてきたといいます。
さらに、昭和41年夏からは全国各地の人に配布したそうです。
また、種子を埋め込んだ土をだんご状にして、列車の窓からあちこちにばらまき広めて行きました。
このことが、朝日新聞の天声人語に掲載され、多くの人に知られることになったといいます。

また、この花を広めて、平和のシンボルにしたいという山口誠太郎の想いを息子さんの山口裕が「平和の花だいこんを広める会(石岡市泉ヶ丘保育園内)」を組織し、つくば科学万博(1985年)に100万袋の種を日本をはじめ、世界からの来場者に配ったそうです。
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さて、この山口誠太郎さんは石岡の灰吹屋山口薬局さんの先代で、東京品川にある「星薬科大学」の前身の「星薬学専門学校(昭和16年設立)」の初代校長となっています。
ちなみに、この学校の創立者は星一さんで、作家の星新一さんのお父さんです。

さて、この花だいこんの名前を「オオアラセイトウ(大紫羅欄花)」となずけたのは牧野富太郎博士であり、江戸時代には日本に渡ってきた外来種として知られていました。
しかし、この紫金草の名前が、20年程前の新聞の声の欄で取り上げられて議論にもなったといいます。
その時に、天皇陛下も聞くところとなり、「すでに博士によって和名がつけられているのでそれでよいのでは・・・」となって、落着。「和名オオアラセイトウ、一名ショカッサイ」となったそうです。

現在、日本に「紫金草合唱団」が全国組織で結成され、日中友好として中国にても演奏などが行なわれているそうです。
そして、紫金草の花壇を作るために1000万円をこの記念館に寄贈しました。
お互いの友好と平和のシンボルとして。

その場所は、中国の「南京大虐殺記念館の平和公園内」です・・・・・・・。

これの先は、それぞれの思いでこの話の捉え方は違ってくるでしょうから、書くのはやめます。

この花に、石岡が関係していたとの話の紹介にとどめたいと思います。

でも花は可憐できれいな花ですね。花の想いはわかりませんが・・・。

 

その他風景 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2011/06/11 15:38
コメント
No title
ROMAN様
政治的なコメントはしませんが、外来種の
種をばら撒くというのはどうなのでしょう?

花も雑草も外来種だらけとは言え、繁殖力が強すぎる
種の場合は駆除対象になっておりますし。

う~ん、、、。微妙です。
Re: No title
行徳様
ははは!そうきましたね。
この方は薬の専門家ですね。
解釈はいろいろあるでしょうね。
でも、そんなことは関係なく一方的に想いを向ける人も
多いようです。
私にも良くわかりません。
外来種のデータベースがあるのを知りました。
こんなものを知る機会にはなりました。
No title
7月7日(金)西宮北口プレラホールで紫金草物語を全曲演奏します。
関西紫金草合唱団応援に金沢紫金草合唱団、奈良紫金草合唱団が歌います。
僕は、山口誠太郎さん役で兵士ソロ「どう伝えたら」を歌います。
絵本の作家「大門高子」さんの講演もあります。西宮市が後援団体です。神戸FM放送でも取り上げられました。
千秋様
> 7月7日(金)西宮北口プレラホールで紫金草物語を全曲演奏します。

ご活躍されていますね。
紫金草の話がこのように広がっているのですね。
情報多謝します。
ますますのご活躍を祈念します。

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