小高観音
行方市の小高地方を少し散策しています。
まあ、今日(午後)から地元石岡ではお祭りが3日間はじまります。
今年は私がいる若松町が年番で、近所は賑わいを見せております。
でも祭りネタは別な方に任せて、私は誰も訪れないようなところをひたすら探しながら記事を書いていきましょう。
小高小学校も2012年に廃校となり、麻生小学校へ吸収合併となりました。
その跡地を昨日眺めてきました。
側鷹神社のすぐ隣にまだ、昔の姿で残っていました。

廃校から10年たちました。 校舎にさびなども目立ちます。また草も生えています。
何かでももったいないような・・・。

さて、上の写真は2013年2月に撮影したもの。
廃校から1年たったものです。まあそんなに変わった感じもしませんが・・・・・
さて、この小学校の裏手に曲がる道角に手作りの「小高観音」という矢印案内板が置かれています。
これに従っていくと「かんのんさま→」などと分かれ道などに置かれており、これに従って、少し進んだところで住宅地で行き止まりのような場所に行きます。
さて、観音様はどこにあるのか??
見渡すとその先の木の陰に石造りの観音菩薩像があるのがわかりました。



説明によるとこの近くには天台宗の「明應寺」という寺があり、いつか無住の寺となっていて、この寺の保存されていた(木造)観音像が朽ちて修理不能と判断されたために、地元民で旅行積立などの費用や寄付などで、20世紀最後の年にこの石造りの観音像を建立したのだそうです。
この明應寺は、天台宗であり、近くの西蓮寺の末寺だったそうです。
でもこの近くには江戸時代の記述では天台宗の「神宮寺」があったとありますので、廃仏稀釈運動などもあり、神宮寺ではなく、名前を「明應寺」と変えたのかもしれません。
明應(めいおう)といえば年号で西暦1500年前後に数年間ありますので、この明應期に建立されたものかもわかりません。
ただ、明応というと1498年(明応7年)の東海大地震がありました。
マグニチュウードが8.2~8.6くらいあったといわれている東南海地震です。
鎌倉の大仏の建屋が流され、大仏も動いたりした地震です。
今から500年以上前の地震ですが、その後の江戸時代にも巨大な南海トラフの地震がありましたが、津波規模などではこちらの方が数倍も大きかったようです。
今後想定されtる南海トラフの地震時の対策として、現在の想定は江戸時代の地震を参考にしており、見直しが必要だともいわれています。西伊豆の戸田(へた)近くで36mくらいの津波があったのではないかと指摘されています。
心配ですね。
この観音様の裏手には子安講などの石像がありました。
江戸から明治時代の物のようです。一つには明治廿三年四月の年月が彫られていました。




まあ、今日(午後)から地元石岡ではお祭りが3日間はじまります。
今年は私がいる若松町が年番で、近所は賑わいを見せております。
でも祭りネタは別な方に任せて、私は誰も訪れないようなところをひたすら探しながら記事を書いていきましょう。
小高小学校も2012年に廃校となり、麻生小学校へ吸収合併となりました。
その跡地を昨日眺めてきました。
側鷹神社のすぐ隣にまだ、昔の姿で残っていました。

廃校から10年たちました。 校舎にさびなども目立ちます。また草も生えています。
何かでももったいないような・・・。

さて、上の写真は2013年2月に撮影したもの。
廃校から1年たったものです。まあそんなに変わった感じもしませんが・・・・・
さて、この小学校の裏手に曲がる道角に手作りの「小高観音」という矢印案内板が置かれています。
これに従っていくと「かんのんさま→」などと分かれ道などに置かれており、これに従って、少し進んだところで住宅地で行き止まりのような場所に行きます。
さて、観音様はどこにあるのか??
見渡すとその先の木の陰に石造りの観音菩薩像があるのがわかりました。



説明によるとこの近くには天台宗の「明應寺」という寺があり、いつか無住の寺となっていて、この寺の保存されていた(木造)観音像が朽ちて修理不能と判断されたために、地元民で旅行積立などの費用や寄付などで、20世紀最後の年にこの石造りの観音像を建立したのだそうです。
この明應寺は、天台宗であり、近くの西蓮寺の末寺だったそうです。
でもこの近くには江戸時代の記述では天台宗の「神宮寺」があったとありますので、廃仏稀釈運動などもあり、神宮寺ではなく、名前を「明應寺」と変えたのかもしれません。
明應(めいおう)といえば年号で西暦1500年前後に数年間ありますので、この明應期に建立されたものかもわかりません。
ただ、明応というと1498年(明応7年)の東海大地震がありました。
マグニチュウードが8.2~8.6くらいあったといわれている東南海地震です。
鎌倉の大仏の建屋が流され、大仏も動いたりした地震です。
今から500年以上前の地震ですが、その後の江戸時代にも巨大な南海トラフの地震がありましたが、津波規模などではこちらの方が数倍も大きかったようです。
今後想定されtる南海トラフの地震時の対策として、現在の想定は江戸時代の地震を参考にしており、見直しが必要だともいわれています。西伊豆の戸田(へた)近くで36mくらいの津波があったのではないかと指摘されています。
心配ですね。
この観音様の裏手には子安講などの石像がありました。
江戸から明治時代の物のようです。一つには明治廿三年四月の年月が彫られていました。




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