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勢力富五郎自刀の地

 千葉県東庄町では、今も天保水滸伝を看板に掲げた施設なども多くみられます。
今ではこの講談・浪曲や歌謡曲などを知る方もめっぴり減ったように思います。

私も最初に訪れた時には、江戸時代のヤクザ同士の争いなどとあまり興味もなかったのですが、次第に興味を覚えるようになりました。
歌謡曲でも田畑義男の「大利根月夜」や三波春夫の「大利根無情」などで歌われた大利根河原の決闘場所もこの東庄町です。
もちろんこれらの歌もなかなか今聞く機会もありませんが、50年ほど前までは結構テレビなどでも歌われていました。
「平手 造酒」などの名前も昔はよく知っていました。

この東庄町にいた「笹川繁蔵」親分と銚子・飯岡地方で勢力を持っていた「飯岡助五郎」親分との勢力争いから、この決闘が起こり、その後笹川繁蔵が暗殺され、十手持ちでもあった飯岡助五郎一家と繁蔵の子分たちの争いが熾烈になり、その中心となったのがこの勢力富五郎たちで、仇討ちを果たせず、近くの金毘羅山に逃げ込んで、500人余りの助五郎たちや岡っ引きなどに囲まれて最後にこの山で自刀して果てたとされています。

十手持ちであった飯岡助五郎を悪者に仕立て、笹川繁蔵を悲劇のヒーローに仕立て、中国の水滸伝が、「梁山泊」という湖のほとりであり、この湖も時代で干上がって陸地となったという。

これが金毘羅山と言われる地形に似ていたのだろうか?
この山に籠って52日間も抵抗して、最後に自刀した場所が、東庄町のこの椿の海を見下ろす高台(県民の森)の山の中に残されています。
前回行ったときに行けなかったので、今回足を延ばして見てきました。

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城山の森と書かれた見晴台に近い場所に「天保水滸伝遺跡遊歩道」という立て看板があります。

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県民の森にある鉄牛和尚の「福聚寺」の門から左手に入り、開けた庭園の先端から山の中に入っていきます。

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山道はなだらかなところもありますが、結構アップダウンを繰り返して進みます。

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最期に山登りがまっていて、その頂上から少し行ったところの開けた鞍部にこの遺跡地がありました。

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大きな木の下に石碑が置かれていました。

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ここで抵抗した人間は全員江戸に連行されて処刑されたという話しを聞いたことが有るので、富五郎は自刀しても、ここには墓はないようです。
また町中の延命寺にも勢力富五郎碑という大きな石碑がありますが墓とは書かれていません。
ただ、この地で亡くなった平手 造酒は墓もあります。
また笹川繁蔵は暗殺され飯岡に運ばれて死体も流されたと伝えられてきましたが、飯岡助五郎により丁寧に弔われていて、この遺骨も最近になって、笹川(東庄町)の延命寺に返却されて、こちらの寺に今は祀られています。

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寺からこの勢力富五郎の碑まで、歩いて片道12~13分くらいです。
年寄りの足には少しきつくなってきました。

この勢力富五郎、笹川繁蔵、飯岡助五郎などみな、江戸で角力(相撲取り)となって、その後地元などで親分やその子分などになっていますね。

小見川・東庄 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2023/10/16 11:35
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