道標-昔の街の考察

 先日から、街道の分かれ道に置かれた追分道標と道路元標について紹介してきました。

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最初に石岡の陣屋門に移動させられた追分道標の道の案内の読み方について教えていただき、昔の地図と対比してやっとこの道標が置かれていたであろうと思われる場所を推定してみました。

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これは、江戸時代に書かれた手書きの府中の街の絵図の一部です。
これによると、現在の旧355線が中町・香丸町と進むと、正面に「千手院」の大きな寺院が見えてきます。

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現在の国分寺境内に移設された「千手院」の山門

この千手院の山門の手前を右に曲がって泉町から杉並へ向かうのが旧水戸街道です。
この水戸街道はこの先山王川を渡り、その先には一里塚が両側にそびえ、その先には日光と同じような杉並木の街道が続いていました。

さて、千手院の裏に大きな「薬師」様と木々の茂みが見えます。この場所が現在の国分寺があるところです。
この図では左手手前に「国分寺」と寺が書かれていますが、これは現在ありません。
昔の常陸国分寺は、この地図の「薬師」とあるところですが、この千手院も含めた領域になっていたと思われます。
(現在のNTTの建物も寺院の領域だったかもしれません。)

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この位置関係を、現在の地図に拙いですが書き加えてみました。
そうすると、昔の道がおぼろげながら見えてくるではありませんか。
「右 かさま 阿たご 道」「左 根あた里」 の道標の位置は、この推測ではNTTの建物の少し手前から右(東)へ曲がる道があり、この道(今の旧国道355号の1本東側の道)が昔の笠間方面にいく街道でした。
そのため、この道標があった場所はこの曲がり角と推測されます。

この右「阿たご」は十三天狗の岩間山(現愛宕山)愛宕神社のことを指すものと思いますが、ここにも「愛宕神社」があったことになっています。
現在は何も地図にはありません。この辺りは次回紹介します。
 
どうやら、この旧道の分かれ道にあったのものを、今の分かれ道のところへでも移動し、今回はまた関係のない陣屋門の脇に移動したものと思われます。
近くの方にお聞きしましたが、わからないようでした。

関係の方もおられるので、また事実がわかればお知らせしたいと思います。
  

道標 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/13 19:40
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