木比堤(きびさげ)稲荷

本日2度目の投稿です。
泉町の常磐線の跨線橋を越えて、旧水戸街道を一里塚の方に進むと、右側に「是れよりきびさけいなり道」という大きな石柱が立っている。(読みはきびさげと濁点がつく)
行ってみるとそこから昔参道であったと思われる道が続いているが、まわりは普通の住宅だ。
前から気になっていたが、今日あるブログ読者の方から、「インターネットではほとんどでてこないのですが、昔は、笠間稲荷よりにぎわったともいわれるようなのですが、何かご存じありませんか?」と質問を受けた。

さて、昔からその存在は知っていたが、石岡の歴史などの書物に出てこないので、大したものではないのではないかと思い見に行くチャンスがなかった。

質問を受けて、そういえば何故、何処にも出てこないのだろうか? と気になり、早速見に行った。

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旧水戸街道の一里塚手前に、このような立派な石柱が置かれている。
しかし、ここから、稲荷まではというと、細い道を入って、市役所前へ続く道を横切り、約5分程歩くともとアルコール工場のあったという現在のカスミなどの入ったショッピングモールの裏手の方にこんもりとした木々のしげったところにこの「木比堤(きびさげ)稲荷」があった。

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一の鳥居の先に木の鳥居がたくさん並んでいます。

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代々鳥居を寄進して守られてきたのがわかります。この鳥居は全て白木で、よくあるような赤い鳥居などはありません。このため朽ちるのも早いのかもしれません。恐らく何年かに1度鳥居を新しいものに交換して続いてきていると思われます。

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境内には稲荷神社特有の狐の像がたくさんありました。拝殿は昭和59年に火災で焼失し、その後再建したものだといわれています。。

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 さて、この稲荷さんですが、通称「きびさげいなりさん」として親しまれているといわれ、いつ創建されたかは不明ですが、とても重要な神社です。
何故、この神社が石岡の歴史書にほとんど書かれていないのでしょうか? とても不思議です。

この神社は常陸大掾国香以来の領主にとって、鬼門(北東)の守り神として大変重要な役割を担っていたと思われます。
古来から町の上下の崇敬篤く祭神は宇迦魂命です。

さて、調べてみると、歴史書に出てこない理由が少し見えてきました。

この稲荷は、大正時代に、霊験あらたかで有名になり、東京の講中が参拝して、境内は大変なにぎわいになったといいます。(いしおか100物語より)

地元から見ると、よその講中の信仰を集めてしまったと言えます。
証拠には上の写真にあった鳥居も東京の方のものが数多くありました。

しかし、この府中の街の鬼門の守り神を大切にして歴史も検証していかなければいけないと思います。

地元でも紹介の記事が少なすぎますね。例祭は2月初午日に行なわれているといいます。


 

石岡市内 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/06/12 15:11
コメント
きびさげ稲荷の謎
 ROMAN様、速攻up有難うございます!(びっくりしました)凄いですね。

 参道の鳥居ですが、昔はまだ周りになにもなく、鳥居だけがぽつんと建っているように見え、
「なんで、こんなところに鳥居があるんだろう?」と不思議でした。
 大きくなって参道の入り口なんだと理解しましたが。
 中学になり、友人の家が神社に近く、神社にも遊びに行きました。錆びついたブランコがあったと思います。もちろん、他に人影はありません。
木が鬱蒼として暗く、ずいぶん遠くに来てしまったような、心細さがありました。
 鳥居が幾重にも続いてるのが、異次元への入り口のようにも、思われました。まだ、伏見稲荷など知らなかった頃です。初めて見る風景でした。
 ここの鳥居は白いですね。記憶ではなぜか、赤かったように思うのですが、これは記憶のすり替えなのでしょう。
 その後も何度か遊びに行ったと思います。
 
 この神社を「きびさき」という人もいるようですが、正式には「きびさげ」なんですね。この名称も不思議です。どんな意味があるのでしょう?
珍しいですよね?
 
 そして、この神社がこれだけ大きいのに、石岡でこの神社に関する話はほとんど聞いたことがありません。大正時代に東京からの参詣客で賑わったという話も初めて聞きました。(笠間稲荷よりメジャーだったというのも、まんざら嘘ではなかったんですね)それがどうして寂れて(失礼)しまったのでしょう??
 いしおか100物語、面白そうですね。私も読んでみたいです。
 本当に有難うごさいました。

 
ね?)
Re: きびさげ稲荷の謎
べあべあ様

何故このような名前なのかわかりません。
そのうち気にしていればわかる時もありそうです。

この神社には子供用のすべり台(青い)と鉄棒(大小2つ)がありました。
ブランコはなくなってしまったようです。
これも懐かしい思い出なのかもしれませんね。
No title
昔ここで、いとこたちとよく遊びました。鳥居はもっと細かい間隔で朱色のものたっていました。当時は宮司もいたと思います。火事で焼けてしまったときには地元民は非常に悲しみました。参拝者も沢山いたと聞いています。ちなみにここの公園を整備したのは当時市議会の祖父でした。
コメントありがとうございます。
> 昔ここで、いとこたちとよく遊びました。鳥居はもっと細かい間隔で朱色のものたっていました。当時は宮司もいたと思います。火事で焼けてしまったときには地元民は非常に悲しみました。参拝者も沢山いたと聞いています。ちなみにここの公園を整備したのは当時市議会の祖父でした。

昔の様子を連絡していただき感謝です。
アルコール工場の敷地であった場所も皆この神社の敷地であったようですね。
もっと昔は相当の大きさであったのだと思います。
鳥居は祖父がつくっています
私の祖父が鳥居をつくっています。
祖父は大工をしており、きびさげ稲荷の管理人さんと昔から付き合いがあるそうです。
そして鳥居の三村悠人は私なんです!
きびさげ稲荷のご近所さん 様
ご連絡ありがとうございます。

鳥居の奉納ご苦労様です。
この鳥居が白木なのは何か理由がございますか?
また何年くらいで取り換えているのでしょうか。
御差支えなければお教えください。
実家の近所です
ROMAN様、本件UP有難うございます!
実家の近く故懐かしく拝見しました。
確かに鳥居は昔赤かったですね、東京からの奉納もありそんなに有名な神社のかと不思議に思ってました。

火災で焼失する前は裏手に滑り台、ジャングルジム、ブランコがあり、今は草ぼうぼうの土地が広場になっていて近所の小学生の遊び場でした。
今は住宅となっている神社の前はタバコ畑、その横手は坂があり、自転車で一気走り降りるのが楽しみ。。。

まさか30年もたってこの神社の謎に遭遇するとは。。。
ちょっとした感動です。
あだっち様
お久しぶりです。

あだっちさんも確か震災時から私のブログにお越しいただいたのでしたでしょうか。

この「きびさげ稲荷」の記事を書いたのはもう5~6年前でした。
今回たまたまコメントがありUPされました。
昔大きな神社だったのに今は街中から忘れられたようで少しさびしいですね。
昔のご様子を紹介いただきありがとうございます。

前に書いたきびさげ稲荷の記事には余禄で次の記事を書いています(お遊びです)

http://mahoranokaze.com/blog-entry-390.html

よろしかったら読んでみてください。
またお越しください。
コメントうれしく頂戴しました。

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