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ふるさと風の会、今年最初の会報発行

 このブログも2010年8月から8年5か月、これは今所属している「ふるさと風の会」での活動とほぼ同じです。
この風の会のスタートは2006年の6月であるが、私がこの会に入会し、最初にここ会の会報に記事を書いたのは2012年11月号からです。
ただ、ブログを始めた頃にはすでに、この「ふるさと風の会」は存じており、非会員として白井先生などの会員の勉強会?などに時々顔を出しておりました。
会報に毎月記事を投稿する自信もなく、ただ何となくこの会の皆さんとの話しも居心地がよく、好き勝手なことを聞いたり、喋ったりして2年も経ってからの入会でした。
こんな2年間も態度をはっきりさせずに、会費も払わず、生臭坊主のような会員はいないんです。

ただ、このブログの方は毎日書くことを決めて、東日本大震災もあり、停電でパソコンが使えなくなっても、原発事故があっても、なんとか情報発信に徹したりしながら休まずに続けてきました。
そんなこともあり、理系人間がこんな郷土史家などと云われる何かを得たのかもしれません。

ふるさと風の会は、脚本家の白井啓治さんがまとめておられたのですが、御病気のため2019年6月に亡くなられ、折角立ち上げて頑張ってきた皆さんの意志を無くすわけにはいかないと記事の編集、印刷、配布、宣伝、HPなどに奮闘しておるわけです。

ただ毎月の会報発行は、流石に少ししんどくなり、1年前から年四回の発行にしたわけですが、どうも人間は不精が根っからの性分の様でして、原稿締切日は相変わらず過ぎても原稿が半分くらいしか集まりません。

自分の勤め人生活にては、この決められた締切日は遅れたら商売としては意味をなさなく成り、何としても徹夜をしてでも守ることが習慣ついていますので、これもまたイライラして・・・まあ健康第一ですからイライラは体に悪いので極力しょうがないと割り切る以外にありません。

今回も1月13日会報発行に対し、原稿の最終締め切り日を1週間前の1月6日にしたにもかかわらず、最終原稿は1月9日の夕方。
その原稿(手書き)をパソコン入力に翌日半日費やして、ページの穴を埋めるために、適当に今までに書いていた記事を捜して追加したりして、11日に印刷を終わらせました。
本来はこんなやり方は御法度ですね。
原稿を遂行したり、編集会議したり、誤字脱字のチェックをしたりすべきだと思います。
でも、完全を私は求めていないのです。
私の優先するのは、休まずに発行すること。これなのです。

会報の記事を読まれた方から、時々誤字脱字などのご指摘を頂きます。
これはこれで、読んでいただけていることを感謝し、御礼を申し上げますが、どうぞこんなやり方で作っているものですので、どうか大目に見逃してほしい!

今回発行の会報「ふるさと風 204号」です。

P1140005.jpg

記事はこちらからPDFで読むことが出来ます。⇒ こちら
(過去のもものなどもすべて、ふるさと風のホームページにリンクされています。 HP ⇒ こちら

また、今年は耳の聞こえないろうあ者との会話ができるように「手話の勉強会」を1年かけて来月から行います。

P1140002.jpg

これも、勇気を出して手話は積極的に使わなければ覚えられないでしょうね。
本来恥ずかしがり屋の私に習得できるでしょうか??
まあ、最近は年取って、あまりこの性分は影を潜めているから何とかなるかな?

現在テキストを印刷中です。これも本づくりのノウハウが生きますね。



ことば座・風の会 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2024/01/14 15:39
コメント
No title
初めまして。
去年から、邪馬台国は茨城にあった、という
考えに取りつかれておりまして、こちらの
素晴らしいブログにたどり着いた次第です。
地元にいらっしゃって、これだけ多くの研究を
なさっている方に忌憚のないご意見を伺いたく
コメントいたしました。
魏志倭人伝における女王国以北の20か国に
茨城各地の地名が散見されている気がするのと、
邪馬台国の邪馬が、イバであれば、その後に
書かれた隋書倭国伝の倭の都の邪靡堆は
かつての邪馬台国という表記における靡が
イバラを指すことから、十分検討できるの
では、と思っています。ほかにも色々な
証左があると妄想しておりますが、先生も
そのような思いになることはございますで
しょうか?長文にて失礼いたしました。



ジュエルパパ様
ジュエルパパ様
 コメントありがとうございます。
貴重なご意見ありがとうございます。
ただ古代を探し求めて常陸国や下総国、海上国などを巡りますと大雑把な歴史も見えてきます。
邪馬台国の卑弥呼が3世紀半ばに亡くなったとされると思われますので、当時はまだ
この地は常世の国ともいわれた比較的すみやすい縄文人たちが暮らしていたのだと思います。
茨城の名前も元々「いばらき」と発音されておらず、和名抄では「牟波良岐」と書かれており、
「ウバラキ」または「ムバラキ」などと発音されたと思われます。地名は漢字文化の入る前の
縄文人たちが地形などを見て呼び合った言葉(今残されているアイヌ語など)でしょう。
私はこの常世の国=常陸国=真秀ら(まほら)と考えてブログを書き出したのです。
色々なご意見は大切にしていますので、ご自身の感性で色々調べてまた、ご意見お教えください。
No title
Roman様
お返事ありがとうございます。
やはり、茨=邪馬(イバ)は、無理筋ですか。
茨城の地名が、石岡であったことと、当時から
そこが台地であったことを自覚していそうだった
ので、『台』まで、きれいに納まると考えたので
すが。ご意見感謝いたします。
また、進捗がありましたら、ご報告させて
いただきます。

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