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明法房(弁円)の寺と墓(1)

 本ブログも数年前に常陸国と親鸞聖人の足跡などを辿って、記事にもし、また本にもまとめました。
しかし、24輩の弟子の残した寺などは特に辿っているわけではありませんでした。

ただ、最近見落としている寺などが気になり、特に石岡に暮らしていると大覚寺に伝わる山伏弁円などをもう少し詳しく調べて見たくなりました。
思い立つとその残された寺や墓などと云うところに行ってみなければならないという気持に襲われ、昨日3月16日の春彼岸の入り前日に車を走らせて出掛けました。

先ず向かったのは那珂市本米崎にある「上宮寺(じょうぐうじ)」です。
明法坊の寺と云えばこちらの寺の名前を思い浮かべたので、先ずこちらへ・・・

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上宮寺はかなり大きな寺で、入り口横には大きな駐車場も整備されていました。
山門脇には早咲きの桜の花がきれいに咲いています。

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「迹親鸞聖跡 二十四輩 第十九番本迹上宮寺」となっています。

本迹(ほんじゃく)と書かれていることが気にはなりますが、こちらは浄土真宗本願寺派のお寺です。
正式名称は「楢原山正法院上宮寺」です。

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山門を入ると正面に大きな本堂があり、中から読経が聞こえてきました。
法要が行われていたようです。10名近い数の履物がありました。
また隣の墓地にも数名の方が墓参りに訪れていました。まあ彼岸に近いので。

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本堂上の龍の彫り物も勇ましく・・・

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本堂に向かって右側に親鸞聖人像があります。

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向かって左側には鐘楼と大きな鬼瓦?? 何か書かれています。

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右側には「弁円の真似する人は多けれど 明法房となる人ぞなし」とかかれています。

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左側には寺の縁起が書かれていました。

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本堂に向かって左奥に「明法房の墓」がありました。
門柱には 右に「当山開基御廟」 左に「昭和二十八年五月二十二日」とあります。

このお寺には明法房の直筆で次のような歌が残されているそうです。

 「怨(あだ)とならし弓箭(ゆみや)も今はひきかへて にしにゐるさの山の端(は)の月」

寺のHPによると

「・・・・・・・・ 明法房は建長3年(1251)に72歳で往生の素懐を遂げ、楢原谷に葬られ、そこに一基の塔が建てられました。明法房の開いた道場は「上宮寺」と名を改め、天正5年(1557)に那珂市の額田に、天正11年(1583)に那珂市本米崎の現在地に寺基を定めております。それから幾たびかの星霜を経て法灯は連綿と続き、現在31世の住職に至っております。
                      楢原山正法院上宮寺 31世住職 鷲元 明誠」

となっています。

楢原谷というのは、現在の日立大宮市東野で、弁円が最初にこの地に「法徳院」という戒壇を立てた場所です。

では、この後にそちらの方にも行きましたので続きは次回へ ・・・


親鸞と茨城 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/03/17 10:57
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