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一茶の常陸の国・鹿島行脚(1)

 芭蕉の鹿島紀行を巡るとして6回に分けて記事を書いてきました。
そこにもう一つ記事を追加しておきます。

それは小林一茶が同じように鹿島へも訪れていることです。
一茶が鹿島へやってきたのは文化十四年(1817)の五月(旧暦)末です。
芭蕉が鹿島に来たのは「貞享四年(1687)八月の中秋の名月」ですから一茶は130年後になります。

芭蕉の生まれは寛永21年(正保元年、1644年)伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)です。
一方一茶は宝暦13年(1763)信濃国柏原(現長野県信濃町柏原)です。

芭蕉の鹿島紀行(詣)は奥の細道に出立する2年前で、40歳代半ば前、一茶が来たのは50代半ば前です。

小林一茶は七番日記を1810年正月から1818年12月(一茶48歳から56歳)までの9年間書いています。
1801年4月に父が死に、その後13年間にわたって、長野柏原の父の遺産相続で争いが続きました。

一茶はこの間、俳諧師として、主に房総方面への俳諧行脚で生計を維持しながら、故郷柏原へも帰郷するという生活を繰り返していました。
また、故郷柏原に帰っていた時に信濃国にたくさんの門人たち(一茶社中)をつくり、交流を深めています。

そして、相続争いが終わったのは文化10年(1813年)1月です。
その1年後にやっと弟と家の分割をし、この時に手にした柏原の土蔵で一茶は江戸を離れて、信濃での新たな生活をはじめました。

文化11年4月(1814年)に妻(28歳)を迎え、翌々年の文化13年4月に長男千太郎が生まれましたが、千太郎は生後わずか28日で亡くなってしまいました。

この長男の亡くなった年(文化十三年)の九月の末に信濃から北国街道・中山道(安中・深谷・大宮)を通って江戸に来て、房総を中心とした俳諧行脚の旅をしています。

そして、その文化十四年(1817年)の五月下旬から常陸国の土浦方面から常陸国南部へやってきました。
そして鹿島・潮来・銚子と行脚し、六月初旬に布川・馬橋などを経由して江戸に戻って、六月末に中山道・北国街道経由で信濃柏原の家に戻りました。

旧中山道1-2

江戸から信濃柏原へは日本橋から旧中山道を軽井沢の追分まで行きます。

安中・松井田宿を過ぎたあたりから碓氷峠への急坂が待っています。

旧中山道1

軽井沢の追分宿が中山道と北国街道との分かれ道になります。

北国街道

一茶の生まれ故郷はこの北国街道の「柏原宿」です。

日本橋 ~ 追分(軽井沢) :約 160 km
追分(軽井沢) ~ 柏原 :約 96 km
この距離を一茶は6~7泊程度で歩いています。
一日で36kmほどになりますので昔の人は籠に乗ったとしてもかなりの健脚ですね。

一茶の七番日記はとくに有名ですが、この中にはたくさんの句が収録されているのですが、先ずは日記としての記録のみを追いかけて見ます。毎日の天気や出掛けた場所などが事細かに記載されています。

この文化十四年(1817年)五月と六月の日記を読んでみましょう。

五月
一 晴 本織に入
   ・・・南房総市本織?
二 晴
三 晴 勝山に入 素共相見
   ・・・鋸南町勝山:浄蓮寺?醍醐新兵衛(乾坤庵冝明)?
四 晴
五 晴 富津に入
   ・・・大乗寺?、織本花嬌の墓があります。文化9年(1812)に三回忌に訪れています。
     一茶は富津ではこの大乗寺に宿泊していたようです。
六 晴 本織泊
   ・・・南房総市本織?
七 晴 みみず貝拾
八 晴 みみず貝舟にたのむ夜雨
   ・・・みみず貝については同じ7番日記の文化9年4月に記事があります。 (後述 参照)
九 雨
十 雨後刻より晴
十一 晴 木更津に入 中島宗純同道有鞠會
   ・・・木更津:浄土宗・選擇寺(せんちゃくじ)?
十二 雨 道心泊
十三 雨畫より晴
十四 晴申刻雨 そがのに入
十五 晴 高野に入
十六 晴 松井に入
十七 晴
十八 晴 逢孤山 雷不雨
十九 晴 田口に入 三韓人十四人来 未刻雷雨
廿 晴 白老と馬橋に入
廿一 晴 布川に入
廿二 晴 龍が崎より女化原を通り土浦に出 
      稲市村近江屋彌五右衛門泊
廿三 晴 高濱本間松江に入
 氏神畵馬 しどけなく振袖ひたす杜若 禿が露を書習ひ 男茶屋
 西光寺に親鸞上人爪書書御正作堂有
    小川今出屋惣八泊
廿四 晴 本間に入
廿五 晴 小川より四里馬にて送らる化蘇根稲荷社有季尺氏神と云 帆津倉に泊
廿六 晴 川越ては八反田根木田札村普門寺と云あり
    武井鹿島詣大舟津より舟渡 六十四文
板久俵屋泊 百五十文
廿七 晴 卯上刻出船 二百六十四文
未下刻銚子に入 蠶濱蠶社法花新田砂山の下に有吉野屋に泊喜平次と云
熊兎孔雀鵞其外品々有
廿八 晴 桂丸に入
廿九 晴 桂丸季峰と濱一覧す
観世音飯沼円福寺と云坂東廿七番此下濱飯貝根町千軒有と云
太田屋仕出屋に入中食わん食わん喜太郎と云者来 仙侯の舟に大竿
 千人塚
  いかい根に有 外川昔此所三千軒家ありしと云 今礎所々有
  清水通り不動に詣下に清水瀧有 新生町長崎石切邊田八景畫観音堂にあり

晴 廿四
雨 五

六月
一 晴南風 邊田浄国寺登望西臺(台)桂丸李峰同 ・・・・桂丸、李峰は一茶の俳友
二 晴 小南に入 雨乞 ・・・東庄町小南
三 晴 萬歳に入 南風小雷雨 ・・・旭市萬歳 椿の海干拓干潟の東部
四 晴南風
五 晴 飯田に入 送り寺子七人 ・・・千葉県成田市飯田町?
六 晴大南風 田川に入 夜小雨 ・・・田川(茨城県稲敷郡河内村大字田川)
七 晴 布川 夜小雨 ・・・布川(茨城県北相馬郡利根町布川)、古田月船
   ・・・布川の 応順寺 に月船句碑がある。天保8年(1837年)1月20日、月船没。
俳人 一茶 を支援し、一茶の月船亭泊りは前後四十数回、二百八十余日に及んだ。
この時は4泊している
八 晴
九 晴
十 晴
十一 晴 馬橋に入 ・・・馬橋:大川斗囿宅?
十二 晴夜酉刻雨寒
十三 晴
十四 晴 しなに入寒 
十五 晴 雅丸に逢寒
十六 晴 車兩會寒
十七 晴 車兩泊寒 卯刻地震より暑となる
十八 晴 八巣に入
十九 晴
廿 晴
廿一 晴
廿二 晴
廿三 晴
廿四 晴
廿五 晴 桐座一覧 ・・・桐座:江戸の歌舞伎劇場の一つ
廿六 晴
廿七 晴 上尾油屋多左衛門 ・・・上尾宿(中山道、日本橋から5番目、埼玉県上尾)
廿八 晴 本庄きくや ・・・本荘宿(中山道、日本橋から10番目、埼玉県本庄)
廿九 晴 松井田 荒井や金五郎 ・・・松井田宿(中山道、日本橋から16番目、群馬県安中市)  
            中山道20番目の宿場町「追分」(軽井沢)より北国街道へ
丗 晴 小諸石村九郎次 ・・・小諸(北国街道)
   ・・・この後、北国街道を「坂木宿、善光寺(2泊)」を通って故郷「柏原」へ

 次回、この日記に書かれている場所などを少し検証してみたいと思います。

~ 続く ~


鹿島紀行 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/04/21 13:11
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