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一茶の常陸の国・鹿島行脚(2)

 小林一茶は故郷信濃(柏原)に戻り、居を構えた後も、江戸から房総方面の俳諧仲間の所を訪ね、俳句を教え旅費や生活費の稼ぎをしていました。
そんな中で生まれたばかりの長男を亡くした後に、やってきた俳諧行脚ともいえる房総・常陸国の旅が文化14年(1817年)前半にありました。
一茶の7番日記に記載されている日記の内容から読んでみたいと思います。
前回、信濃と江戸との往復に旅程などを述べましたので、今回は房総への旅です。
前回載せた日記は5月と6月の日記ですが、房総への旅程を知るには4月分を見る必要があります。

文化十四 丁丑年
四月
一 晴 大南風
二 晴未刻雨 大川に入
三 雨
四 晴時々雨
五 雨
六 雨 松井に入 魚淵文通出
七 晴 南一片得車兩
八 晴未刻雨 七十二文唐紙葉
 廿八文和紙一葉鶯笠畵 筑前逢如氷
九 晴 成美記念袷(あわせ)を得たり
   六百七十八文鼠色浴衣
   ・・・成美:江戸蔵前の札差夏目成美(なつめせいび)?一茶の庇護者。俳人
十 晴 祐天寺及碑文谷詣三人下野屋泊
十一 晴 愛宕山に宿
   ・・・本所五ッ目大島愛宕山(江東区大島5丁目)に40代前半に一時期仮住。
愛宕山とは真言宗の愛宕山勝智院のことで、住職が葛飾派の俳人であった関係で、
   一茶は勝智院に間借りしていたと考えられる。なお、その後勝智院は千葉県佐倉市に移り、
   勝智院のあった場所は大島稲荷神社となっているとのこと。
十二 陰畫より雨 砂明より南一片得
十三 晴 信州文路より南(二朱銀)一片と銀三匁来る
   文路:上原文路・・・信州善光寺の近く一茶の門人で薬種商を営んでいた

十四 晴 文路に書通出 江戸橋より舟入
十五 晴 辰五刻木更津石川に入 ・・・朝8時頃、石川:石川雨十?
十六 晴 高倉に入
十八日依有養子今日有振舞四十人 ・・・高倉で句会?6泊
十七 晴 白老と儈都と遠方に行日暮歸
十八 南風雨
十九 雨
廿 晴小雨
廿一 晴申刻雨 白老と五本松にて別れ木更津に入る
廿二 雨 小振舞
廿三 陰日暮雨 今暁富津迄有便船と云視無涯未明に起て
相待舟は無沙汰出船と云
廿四 晴 富津に入
廿五 晴夜雨
廿六 晴夜雨
廿七 晴 保田升屋傳七泊(1泊)
   ・・・鋸南町保田?
廿八 晴 本織に入
   ・・・本織:南房総市本織?
廿九 晴 久保に入
   ・・・久保:千葉県君津市久保?
三十 晴

4月14日に江戸橋から舟で木更津に渡っています。
ここから房総方面の俳人仲間などの所を点々と渡り歩いているようですので、この描写部分を少し紐解いてみましょう。
ただ、日記に記されているのが地名なのか、俳人仲間の号なのかが不明な箇所もあり、こちらで解釈したのが違っているかもしれません。
また、解説本もあると思いますが、詳しくは調べて居りません。ご了承ください。

木更津船地図1

まず、
 4月14日江戸橋より舟入 
 4月15日 辰五刻木更津石川に入
とあります。
江戸橋は日本橋川に架かる橋で、日本橋のとなりの橋。
当時、日本橋川の河岸から木更津へは荷物の運搬だけでなく、旅客の運搬もしていた定期便があったようです。
「木更津船」とよばれた船で、江戸幕府から特別に認められた船路だったようです。

北斎木更津船
(葛飾北斎:富嶽三十六景「上総ノ海路」)

調べて見ると、「これは木更津船が江戸幕府から江戸と安房,上総の渡船営業権を与えられ,江戸船町(現,中央区日本橋)に木更津河岸を公認されていた。」という。
その起りは大坂冬の陣で木更津の水夫が徳川方に協力したための論功行賞だそうだ。

日本橋川から墨田川に入り、そこから江戸湾(東京湾)へでて、木更津までの行路で、途中の関所的なものもなかったようだ。
このほかに、墨田川から小名木川を通り、中川を経て、新川経由行徳までの「行徳船」も盛んに出ていたようだが、こちらは小名木川が中川と交わる場所に「中川番所」があり、人の出入りを監視はしていた。
しかし江戸後期にはこれも形のみで、余程のことがなければ声掛け程度で通行出来たともいう。

木更津へ朝方早く(朝8時頃)着いているので日本橋は夕方化夜にでも出港したのだろう。
一茶の房総での俳諧仲間が多いのもこの舟の影響もきっとあるのだと思う。
江戸との行き来が大変便利だ。

最初に載せた地図には4月14日から4月30日までの足取りを想像しながら書き加えて見た。
日記には宿泊先の集計が書かれており、この4月の宿泊先は
布川 一  ・・・利根町布川、
大川 四
松井 六
下野 二  ・・・碑文谷詣三人下野屋?
愛宕山 一 ・・・本所五ッ目大島愛宕山(江東区大島5丁目)
石川 二  ・・・木更津(石川雨十宅?)
高倉 六  ・・・木更津・高倉観音(髙藏寺)?
富津 三  ・・・富津市 大乗寺?
本織 一  ・・・南房総市本織
久保 二  ・・・君津市久保

木更津まで舟で渡って、高倉で6泊している。4月18日に俳諧の仲間40人が集まったようだ。
高倉が木更津の高倉観音近くのことだと推察したが、これは調べていない。

(続く)





鹿島紀行 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/04/23 10:28
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