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一茶の常陸の国・鹿島行脚(3)

 さて、文化14年(1817年)4月半ばに江戸橋下から房総木更津へ舟でやってきた小林一茶は4月末には一旦君津辺りに戻りましたが、5月には再び、南房総市や鋸山の南の方から富津辺りを行き来しています。
門人たちがあちこちにいたのでしょう。
一茶にとっては生活の糧を得るのも目的の一つだったと思われます。
その日記の記事を読んでいて、気になる箇所を見つけました。

五月
一 晴 本織に入
   ・・・南房総市本織?
二 晴
三 晴 勝山に入 素共相見
   ・・・鋸南町勝山:浄蓮寺?醍醐新兵衛(乾坤庵冝明)?
四 晴
五 晴 富津に入
   ・・・大乗寺?、織本花嬌の墓があります。文化9年(1812)に三回忌に訪れています。
     一茶は富津ではこの大乗寺に宿泊していたようです。
六 晴 本織泊
   ・・・南房総市本織?
七 晴 みみず貝
八 晴 みみず貝舟にたのむ夜雨
   ・・・みみず貝については同じ7番日記の文化9年4月に記事があります。 (後述 参照)
九 雨
十 雨後刻より晴
十一 晴 木更津に入 中島宗純同道有鞠會
   ・・・木更津:浄土宗・選擇寺(せんちゃくじ)?
十二 雨 道心泊
十三 雨畫より晴
十四 晴申刻雨 そがのに入
   曽我野=蘇我
十五 晴 高野に入
十六 晴 松井に入
十七 晴
十八 晴 逢孤山 雷不雨
十九 晴 田口に入 三韓人十四人来 未刻雷雨

この5月7日と8日に「みみず貝」を拾い、舟を出してまた探しているようです。
ここでは「みみず貝」と書かれていますので、一茶はこの貝に何か特別な思いがあるようです。

そこで他に書かれた箇所がないかを探してみました。
ありました。7番日記文化9年4月の文です。

耳つ貝:7番日記文化9年4月
「上総国富津の浦に耳つ貝といふかひ有けり 日日いく舟ともなくとりて老若男女群がりて 小刀やうのものもて中に実をほり山しつつ 石なごの玉のやうに乾して唐の問屋におくるとぞ 其殻そこらちらばひ有けり 赤きはつつじの咲き乳たるがごとく 白きは雪の吹ちるに等しくて ほとほと春の山辺の景色に似たり
此ものたまたま木曽の片邊などに持つたへたる物を見るに 一つ一つ綿につつみて深くひめ置てかりそめの戯に箱開く事なく雛の日又は晴々しき祭やうの時いざと取出して手入皿といふものにして賓客をもてなす第二の器とす しかるに此所にては此殻のせんすべなく境目々々の垣際に不二やうにつみ累て折々のあらしの風へらす時を待或は大道に引ちらして牛馬の蹄にふみくだかしむ 是全く一つ品ながら山おくにては実と尊み 海辺にては芥といやしむ にげに崑山の下には玉をもて鳥に投うち 彭蠡(ほうれい)の濱には魚をもて犬をやしなふとや 是を思へば 三千世界の中には黄金の捨場にもちあぐむ国もなどかなからん。
金が降る降るてふ白雨を
ばらばら海へ捨るむら雨
夕立が始る海のはづれ哉
そこ許もお江戸入かよ時鳥(ほととぎす)」

なかなか興味深い内容です。
最後に変わった句が載っています。
・富津の浦には「耳つ貝」という貝がとれる。その貝の実を小刀で取り出して、干して唐の問屋に送るが、貝の殻はそこらに捨てられている。
しかし、木曽の山などでは貝殻は宝物とされ、一つずつ綿にくるんで置いておき、ひな祭りなどに出して特別の皿(手入皿)として客をもてなす時などに使われると。
山では宝で、浜では芥(くず)のように捨てられている。なんでだろう?
三千世界にこのように宝を捨てる国んどないのに・・・。
「金(かね)が降る。金が降る・・・・・・・」

さて、これを「金が降る」と題して、俳諧歌として、詩吟の持ち歌になっている。

俳諧歌(詩吟)一茶の俳句で「金(かね)が降る」

金が降る(俳諧歌)(詩吟)
上総国富津の浦にみゝつ貝といふかひ有けり
是全く一ツのものながら
山おくにては宝(たから)と尊み
海辺にては芥(あくた)といやしむ
げにげに崑山(こんざん)の麓には玉をもて鳥に投げうち
彭蠡(ほうれい)の浜には魚をもて犬をやしなふとかや
是を思へば
三千世界の中には黄金(こがね)の捨場にもちあぐむくにもなどかあらざらん
金(かね)が降る 金(かね)が降るてふ(ちょう)白雨(ゆうだち)を
ばらばら海へ 捨るむら雲(むらぐも)
ばらばら海へ 捨るむら雲

これに詩吟の節回しで吟じるのでしょう。

辞書によれば、みみず貝(蚯蚓貝)
mimizugai1.jpg
このように蚯蚓のようにくねくねしたねじり貝

しかし、山では宝で、浜では芥なもので、特別なもてなしなどに使われる皿のような形状の貝は、この蚯蚓(みみず)貝ではなく、

mimigai.jpg
mimigai2R.jpg
このような貝殻が人の耳の形をした貝で、耳貝と呼ばれる貝のようです。

写真だけですが、結構輝いてきれいな貝殻ですね。

一茶の「俳諧歌」として紹介された歌の元歌は、この7番日記の文化9年4月の文でしょう。

今回の文化14年の5月の「みみず貝」がこの「耳つ貝」のことかどうかはわかりませんが、多分この耳に似た形の貝の事だろうと思われます。

では次回は常陸国南部から鹿島、潮来を通って銚子へ行った時の行程を追いかけて見ます。



鹿島紀行 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2024/04/24 14:05
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