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赤レンガ(1)

 今朝に続いて2度目の記事です。
石岡に来たばかりの頃に街中の石の蔵がよく目に付いた。
この蔵の街を記録にとどめたいと思った。蔵の写真などを撮って残し、そのデータベースを作りたいと思った。
しかし、今回の地震でかなりの蔵が傷んでしまった。ちゃんと撮っておけばよかったと後悔している。

 しかし、まずはもうひとつの懸案である「赤レンガ」のある場所を探してみることにした。
きっと知らないところも多いのかもしれない。
こんなテーマで書き始めればまた後から教えていただいたりしてデータが増えるのではないかとか、そこに関する思い出なども出てくるかもしれない。

まず最初は、市民会館駐車場の赤レンガ塀である。来たときから気になったものだ。
調べたが、あまり書かれたものがない。ひょんな時に「石岡酒造」の名前が出てきた。

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石岡を訪れた人の多くは、中町のレトロな建物を見て、国衙跡や総社を訪れると思う。
この時、市民会館手前の現在駐車場になっている空地の塀のレンガに目を向けると思います。

renga02.jpg

ここは昔何があったのだろうととても気になるのです。
しかし、これを積極的に知らせるものはほとんどありません。

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昨年だったでしょうか、この塀のレンガが補修されました。
それまでは、上の写真のように一部が壊れていたのです。

昭和10年の地図には、ここには「石岡酒造会社」の文字が読み取れます。そして、正面の市民会館の入口部にはあの陣屋門があり、今の市民会館の場所には「実科高等女学校」があったと書かれています。
また、この石岡酒造の手前には石岡町役場がありました。
しかし、役場の跡地は何処かは全くわかりません。住宅地になってしまっています。
今から見るとずいぶん狭いところに集中していたのだと思います。

この石岡酒造は現在東大橋の近くに会社がある「石岡酒造株式会社」の前進だろうか?
この会社も4つの蔵元が集まってできたと聞いたが・・・
また後で調べてみよう。

私は他所から来たので、観光客の気持ちがよくわかります。蔦でもからませているだけで絵になります。
赤レンガは一つのシンボルです。観光の目印になります。この辺りの昔の写真などをどこかに展示して説明をしたら良いと思っています。

この実科高等女学校は明治45年に創設された町立の女学校で、後に県立に移管され、「石岡高等女学校」となり、現在の石岡二高(星の宮裏に移転)になったのです。

また、ここにあった、町役場などの記録も是非残してほしいです。明治34年発行の「石岡繁昌記」には「字土橋に在り、木造の二層家屋にして階上の大広間を以て町会の議場に充つ、階下は即ち町役場にして設備宜しきに叶ひ、事務の秧掌に至便なり」と書かれています。
こんなことにも興味がわきます。

石岡史跡保存会という会がありました。昭和8年~昭和11年、昭和30年復活し昭和48年まで活動された。
今はこの当時の資料がかなりの参考になっている。
地道な活動が必要でありことを皆さんにも知っていただきたいと思います。

陣屋門を見に来た方が、場所がわからずウロウロ。この門がしゃべることができたら、今でも「元の位置に戻せ」と言っているように思う。
 

赤レンガ | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/06/21 19:47
コメント
石岡のアイビースクエア
この場所、好きでした。レンガの壁が崩れたところも味わいがあって、昭和57年頃?までは、壁は蔦で覆われていました。その頃お祭りを見に遊びに来た友人に、石岡のアンティークな建物を紹介して歩いたので、覚えてます。
 一人勝手に「石岡のアイビースクエア」と呼んでいました。(本家倉敷とはだいぶ違うけど・)
 修復したということは、保存する気持ちがあるからですよね?昔のちょっとくすんだ感じも素敵でしたが、今回の地震を考えれば、修復しておいて、よかったですね・・。
 ここで何かしらのイベントができたら、面白そうですね・・。
追伸
ROMAN様 昭和57年頃は空き地ではなく、まだ酒蔵が残っていたと思います。
Re: 石岡のアイビースクエア
べあべあ様
このレンガ塀は貴重ですね。あるとないとでは雰囲気が全く違います。
崩れたところは修理するのは仕方がないですし、保存する気がないと思われますから
良かったと思います。
酒蔵が残っていたなら・・・・。整備して見学できるようにしてほしかった。
市民会館の建設が昭和44年4月オープンで、その前に陣屋門の移設で署名活動まで・・・・。
この会館の建設がすべてを物語っています。
まったくのナンセンス。惜しかったですが、できてから40年以上経ちますので
別な場所に会館を移転して歴史的なシンボルの場所に生まれ変わることができないのでしょうか。
倉敷をアイビースクエアというのですか?
あの白壁の町並み私も好きですね。
大原美術館におおきなリュックを背負って昔行きましたが、その後また行った時には
大分前衛的な絵画が増えて違和感がありましたが。問題点は何処でもあるようです。
倉敷レーヨンの個人的な趣味からとしても、どうして石岡とはこんなに違うのでしょうか。
まだまだ良いところが石岡にたくさんありますね。探して大いにPRしていきたいです。
No title
べあべあ様
何時頃までかは覚えていませんが、確かに酒作りの
蔵みたいのありましたよね。57年と言えばもう市役所
も保健所もなくなってだいぶたったころで、この辺り
随分殺風景になったよな、という記憶があります。
ROMAN様
木造だったころの石岡小の校舎の階段は上がり口が二箇所、踊り場を介して二階に繋がっていたように思います。手すりはRついており、はやい話
子供らの滑り台にされていました。もちろん怒られましたが。いまから思えばゆとりと言いますか
随分贅沢な造りでした。
追伸2
倉敷のアイビースクエアは昔の紡績工場を、レンガとアイビーをうまく活用して、ホテルとして、復活させたものです。ここにあった酒蔵(倉庫だったという人もいます)をうまく活用して、観光スポットにすればよいのに、という願いを込めて一人勝手にアイビースクエアと呼んでいました。
国鉄が「ディスカバージャパン」と銘打ち、キャンペーンをしたころは、各地で古いものが見直され、「小京都」なるものが、出現しました。
 石岡もそういう街のひとつになればいいのにと願っていました・・・。
Re: 追伸2
べあべあ様
まさにこれですね。
倉敷のホテルHP見ました。これなら石岡にもできそうですね。ホテルはできないとしても。
今まで石岡の特徴として考えてきたものとは違った魅力があります。

このアイディアいただきで~す。
皆さんのアイディアも集約方向でしょうか。
私が今まで思っていたものとは違う魅力が満載です。
ありがとうございました。
このアイビースクエア構想に沿ったものにできるか、ネタ探しをもう少し続けます。
レンガや蔦ももう少しお付き合いください。
今、これから2回分を書いていますので・・・。
でも忙しくなってきて困ったな・・・。
もう少し楽をする予定だったのだけれどね。
 
川越
川越といえば、今は観光地で、賑わっていますよね。でも川越出身の友人が「自分が小さかった頃は、単なる田舎の街だった」と言ってました。

川越は古いものと名物のお芋を上手く活用して、
観光地になった街なんですね・・。
Re: 川越
べあべあ様
確かに昔川越は単なる田舎の町でした。昔を少し知っています。
それが「小江戸川越」となづけて、名物だった芋菓子やウナギなどで結構人気。
この川越の祭りも関東三大祭りというとか・・・。NHKテレビ小説で取り上げられたのも大きい。
昔、同じようなので石岡と比べたことがありましたが、違いは人口の違いが著しかったです。
石岡市:8万人弱、川越市:34万人と4倍以上です。
川越と佐倉はとても似た雰囲気ですが、佐倉市でさえ、石岡市の2倍以上です。
もうひとつの違いは、石岡の歴史が古すぎること。川越には江戸の雰囲気があります。
この方がとっつきやすいのでしょう。
しかし、小粒でもキラリと光る何かを出していきたいですね。
何もしなければ確実にもっと廃れた田舎町になってしまいます。
このブログなどの情報発信もとても大切だと思っています。
気休めかもしれませんが・・・。
もうしばらくは頑張ってみます。

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