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府中六井(4)-室ヶ井と景清

びんずるの谷津に月さす室ケ井の 湧き出づる水の流れ清けれ

この室ヶ井(室貝)のあった場所は6号国道の建設で道路の下に消えたとある。
しかし、この歌にある「びんずるの谷津」とはどんなところなのだろうと興味がわいた。
谷津とは谷津田という言葉が良く出てくるように谷のようになった低い土地で田圃などが良く作られている場所が多いそうだ。
では「びんずる」とはなにか気になったが、別な書物を見たら「びん面」と書かれてあった。

まずは、資料から地図をたよりに場所を探してみました。

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この写真は6号国道の貝地の交差点の横断歩道の上から石岡・水戸方面を見たところです。
信号のすぐ左手に「護身地蔵尊」「一成蕎麦屋」その先に「きっちんさくら」。右側に「レストランサイゼリア」、「讃岐うどん丸亀製麺」などがあります。



室ヶ井はこの少し低くなったあたりの田圃の中にあったようです。石岡駅側から細い道を現在の6号を通り越して「平等寺」の方に行く途中だといいます。
このあたりには谷津田が広がっていたのでしょう。
写真集「いしおか昭和の肖像」には、昭和30年12月18日にこの室ヶ井の井戸供養が行なわれた写真が載っています。
この時まで水は湧き出ていたものと思われます。6号国道バイパスが昭和36年に完成し、すっかり景色が変わってしまったといいます。

それにしても、一日に七へん色が変わるほどの清井で、昭和30年の時には土地の所有者が市に残してほしいと寄付したと書きしるされており、石碑の一つもどこか脇にでも立てて残してほしかったと思います。

この室ヶ井には景清(平家の猛者として歌舞伎でも有名です)がこの地で生まれ、この水を産水としたとの伝説が残されています。

景清の生まれたところがはたしてこの石岡であったのかどうかもはっきり証拠はありません。
しかし、現在の貝地にある「平等寺」があった場所には昔、「国掌屋敷」という屋敷があり、近衛景清(藤原景清、平景清)がこの屋敷で生まれたとする話が伝わっています。

kagekiyo01.jpg

景清はその武勇を頼朝が惜しみ、死罪をまぬかれ、九州へ渡ったとする説や、常陸国守八田知家に預けられ、そこで死んだとする説などいくつかあります。
やはり八田家に預けられ、死んだとするのが有力とすると、その霊をここに祀って、慰めるということでしょうか。

kagekiyo02.jpg

場所は「平等寺」のとなりのこんもりとした愛宕山です。おそらく古墳があったのでしょう。
 
 

府中六井 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/07/10 19:30
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