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府中六井(3)-小目井(2)

昨日紹介した「小目井」の場所ですが、本当に昔なら恋瀬川に面していたところかもしれません。
私のブログは歴史紹介ではないので、六井の井戸の内容の紹介は程々にして、そこに行って感じたこと、風や空の動きなどをできるだけ肌で感じたことを書きたいと思っている。

まあ、思いと実際の行動はどうも一緒にはならないが、気持ちだけは大切にしたいと思う。
この小目井も目の治療に近隣、いや結構遠くから人が集まってきたという。
どんな感じだったのかを想像しようとするが、なかなか思い浮かばない。
しかし、この場所を知ったことにより昔の外城(石岡城)の建っていた場所が舌状の台地の上であることが確認できた。

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この「小目井」のある場所は台地の先端ですが、昔はこの先は霞ケ浦だったのかもしれません。今は梨畑が広がり、その向こうに工事中の橋や6号の恋瀬橋が近くが見えます。奥の山は筑波山です。

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写真の梨畑の先は現在工事中の6号バイパスの橋桁です。
このバイパスはこの先舟塚山古墳群をかわしながらまわっていきますが、どうしても昔の縄文人の遺跡も通るし、ヤマト朝廷の通った道も通ります。また中世の行方四頭などの本拠地も通ります。

文化の繋がりが断たれないことを望みます。
この井戸の場所は現在地元の人以外にはほとんど通りません。しかし、大昔は通っていたのかも知れません。
近くに月天宮(貝地)があります。ここと幸町の日天宮を通って・・・など 現在では考えられないようなルートだったのかとも想像します。

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月天宮(貝地)

これは、この小目井の場所を探して歩き回った時に田島地区の分かれ道にあったもの。このような偶然の出会いがうれしいので放浪することも止められません。

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見ぬ人は汲みて知るらん小目井の 清き流れの千代の行く末

  

府中六井 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/07/10 09:05
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