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霞ケ浦水運(4)-那珂湊内海まわり

 霞ケ浦の水運を調べるのに、高浜からは米、清酒、醤油それに材木、炭などであり、米は高浜相場なるものまであったといいます。また土浦からも同じように醤油などを中心に運ばれたといいます。
これは陸路だと馬の背に乗せて(米なら左右に2俵)馬子が一人必要で、これが駄賃の言葉を生んだのですが、船なら高瀬船で船頭1人で何十倍も一度に運べたのです。
これなら馬で運ぶ駄賃の1/5~1/10くらいで済んだといいます。

では霞ケ浦水運として、別なルートがどのような状況であったのかを知らなければなりません。
そこで、北浦を航行していた船がどのようなルートで物資を運んでいたのかを調べてみました。

hinuma.jpg

これは那珂湊内海ルートと呼ばれていたものらしいのですが、那珂湊まで仙台や石巻など東北方面から外洋を船で運び、那珂湊からそのまま川をたどって涸沼に入ります。
涸沼から陸路を「鉾田」へ運び、北浦を通って佐原から利根川を遡ります。
または涸沼から小川へでて、高浜ルートで佐原から利根川です。

これは鹿島灘の航海や、銚子から先の外洋ルートは度々事故もあり危険だったからのようです。
このため、このルートも大いに発達を遂げたようです。
しかし、涸沼から陸路を使うために、荷物を乗せ換える手間などが発生し、次第に廃れて行ったようです。
また、北浦に蒸気船が明治21年に就航します。
鉄道は石岡-小川-玉造間に「鹿島参宮鉄道」(その後の鹿島鉄道、現在廃線)が、できたのは大正11年です。
鉄道の普及で物資も鉄道で運べば時間が1/10くらいになるのですから、やはりどうしても廃れてしまうのは仕方がないでしょうね。

それにしても「涸沼のしじみ」は今でも大粒で大変美味しいですね。茨城名産品の一つでしょう。
 

霞ケ浦水運 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/07/04 06:52
コメント
No title
ROMAN様
高浜史ご紹介戴き、正直な感想。関東のプチベニスに
なれたのに成り損ねた?
いやいまからでも遅くない。
物流としての霞ヶ浦水運は当面忘れても、何かの形で
水上交通復活すると面白いでしょうね。釣り船、屋形船?
デュッセルドルフのアルとシュタットの傍にライン川が流れ、
観光船のみならず、物資運搬船が今も行き来しています。
日本人はどこか0-1で選択して、失くさないほうが良いもの
まで潰しているように思えます。
Re: No title
行徳様
高浜は駅前にはお店もなく、正直多くの人がこんな町?何があるの?
と思うに違いありません。
私も最近までそう思っていました。
でも写真を撮って見てみるとなかなか見ごたえのある町です。
赤レンガの煙突や門などと組み合わさる町もないですから・・・。
日本人は新しいものに飛び付き、かといって小江戸だの小京都などと
全国のミニ化をして喜んでいますが、この霞ケ浦周辺は本当に
実に面白いエリアです。
石岡だけでなく、周りの繋がりも楽しいですね。
もう少し掘り返してもいいかもしれませんね。
最近石岡も少しだけ見に来る人が増えているような気がしています。
 

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