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霞ケ浦水運(6)-高瀬舟

 利根川の東遷事業により霞ケ浦から利根川、江戸川を通って安全に江戸に物資を運ぶことができるようになりました。

江戸時代前から川で主に荷物を運搬するために、舟の底を平らにした高瀬舟(高瀬=浅瀬)が全国各地の川で使われました。高瀬舟ってどんなものだったのでしょう。

森鴎外の「高瀬舟」は京都から大阪へ流れる高瀬川を行き来する小舟であり、こちらの荷物運搬も同じような小舟が多かったのでしょう。
この罪人を運んだという京都から大阪の高瀬川の舟は再現されています。<写真はこちら

あまり大きなものではなく、米なら20~30俵くらい運んだのでしょう。
これには帆がありませんが、霞ケ浦で使われていた高瀬舟はどんなものだったのでしょう。

小舟にとっては潮の流れがなく、風があれば帆をはり、なければ櫓をこぎ。または川の沿岸からロープで曳き舟などもあったようです。

実は慶応4年に高浜神社に奉納された1枚の額絵があります。

この高浜神社は大変古く、天候が悪く鹿島神宮にお参りの舟が出せない時など、この地で鹿島神宮に向かって祈りをささげた「青屋神社」がスタートでした。
高浜に来れば必ず立ち寄られるところだと思います。

setsumei01.jpg

神社の境内にこのような説明が置かれています。写真左の上は山岡鉄舟の書いた「高浜神社」の奉納額。下が慶応4年に書かれたこの高浜の風景を描いた奉納額です。

setsumei02.jpg

しかし、この高浜神社の説明には、常陸風土記に歌われた時の高浜の様子が説明されているだけです。
では、この絵の説明はと探すと、この神社ではなく「高浜公民館」(先日書いた「いづみ荘」の近くです)にありました。

takahamafune.jpg

これによると、江戸に運んだものは「米・麦・大豆・小豆・薪炭・醤油・木材など」で江戸から運ばれたものは「塩・干鰯・砂糖・ロウソク、呉服・荒物・小間物など」と書かれています。
この中では塩がとても気になりますが、これは醤油の材料として「赤穂塩」が使われたようです。

京都の方の高瀬舟は川幅もせまく、場所によっては、陸からロープで曳き舟などしたりもしたようですが、霞ケ浦は広く潮の流れもあまりないので、風があれば帆をはり、なければ櫓をこぎなどしたものと思われます。

ここに書かれた絵も帆が見えますが、はっきりしませんので、「石岡の歴史」に掲載されている写真を拡大して見ましょう。

takahama22.jpg

この大きくそびえる山は富士山ではありません。筑波山です。きれいな形の山ですね。

takahama04.jpg

これは高浜神社です。湖側と反対側に大きな(石の?)鳥居が見えます。
また湖の岸辺には小さな鳥居があります。

takahama05.jpg

帆を張った舟と帆をおろしてマストのついた舟が数隻見えます。また町の真ん中に大きな梯子?階段?が見えますがこれは火の見櫓でしょうか? いや醤油工場の煙突かもしれません。

takahama07.jpg

この屋号はどこの舟でしょう。横幅は結構広く、2m以上あるように見えます。

takahama08.jpg

全部で舟は10隻以上描かれています。
かなり賑やかだったと思われます。この絵が奉納されたのは慶応4年の3月です。明治元年は同じ年の9月でした。
また、大政奉還は前年の慶応3年。戊辰戦争がはじまったのは、この慶応4年です。

こののどかな景色・風景と当時の動きとがうまく頭の中で整理できません。
山岡鉄舟の活躍した時代と同じなのですから。

ところで、この山岡鉄舟の兄(小野古風)は、高浜小学校(私塾からスタート)の創始者で、初代校長でした。
 

霞ケ浦水運 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/07/05 19:51
コメント
No title
こんばんは、

関係ない話でもうしわけないですが、
どうも今日しか時間が無いようなので急遽 長楽寺へ行ってまいりました。
おかげさまで一発でわかりました、ありがとうございます。
写真ですが、光線が強すぎてあまりイイのが撮れませんでした(言い訳)。
地震の被害は仁王さんが倒れて、肘鉄で壁に穴が(;´д`)
本堂はとくに無いみたいです。
大急ぎで、善光寺、大覚寺、正法寺と再度まわってから西光院を見て戻りました。

とりあえず長楽寺の写真を一枚仕上げてみました
夏の日差しの感じが出てますでしょうか。
http://expo85.blog89.fc2.com/blog-entry-16.html
Re: No title
kurokenさん

今晩は。それにしても早いですね。遠いところを2度も来ていただいたのですから
少し気にいっていただいたのでしょうか?
こちらとしては素敵な写真をとても喜んでいます。
長楽寺は撮影用に電線もありません。木の間から照る太陽の光が全てですので
とてもいいですね。
寺の見方は人により違うでしょうから、座頭市や篤姫の画面を浮かべても楽しめます。
私は、この昔の地名「狢内」や長楽寺と呼ばれていた岩間山(愛宕山)の13天狗が気になります。
岩間山の神社裏の飯綱神社の天狗の祠と六角の本殿はとても変わっているように思います。

>
> 関係ない話でもうしわけないですが、
> どうも今日しか時間が無いようなので急遽 長楽寺へ行ってまいりました。
> おかげさまで一発でわかりました、ありがとうございます。
> 写真ですが、光線が強すぎてあまりイイのが撮れませんでした(言い訳)。
> 地震の被害は仁王さんが倒れて、肘鉄で壁に穴が(;´д`)
> 本堂はとくに無いみたいです。
> 大急ぎで、善光寺、大覚寺、正法寺と再度まわってから西光院を見て戻りました。
>
> とりあえず長楽寺の写真を一枚仕上げてみました
> 夏の日差しの感じが出てますでしょうか。
> http://expo85.blog89.fc2.com/blog-entry-16.html

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